マーティン・ウィットマーシュ  イギリス

  • 氏名 マーティン・ウィットマーシュ
  • 生年月日 1958年4月29日
  • 出身地 イギリス ニュー・フォレスト
  • 年齢 56歳147日
  • チーム マクラーレン
  • その他 チーム代表
driver portrait
プロフィール

2009年、あまりにも大きな存在として君臨したロン・デニスの後任に、マーティン・ウィットマーシュが指名されたとき、彼の前途に苦悩が待ち受けていることは火を見るより明らかだった。その上、チームは連続でコンストラクターズタイトルをフェラーリに奪われており、そのプレッシャーは計り知れない。果たして、彼の船出は誰もの想像をはるかに超える試練となって降りかかる。初戦失格処分、さらにチームらによる2010年シーズン以降の参戦ボイコットという事態が彼を待ち受けていた。

航空機エンジニアになりたかったウィットマーシュがモータースポーツの世界に入ったのは1989年のこと。ブリティッシュ・エアロスペースからマクラーレンに転職したのだが、このときは"レーシングカーの区別などまったくつかなかった"ことを彼自身認めている。

ルイス・ハミルトン第2の後見人といわれるウィットマーシュがマクラーレンF1のCEOに就任したのは2004年のことで、彼がデニスからチーム代表の座を引き継ぐことは既成事実と目され、問題は"いつ"ということだけだった。

その日が訪れたのは2009年3月。ハミルトンがワールドチャンピオンとなった陰でデニスはナンバー2に実権を譲り渡すことを決意した。しかし、指揮官交代後の初レースは、レースオフィシャルに対する偽証でマクラーレンが失格処分を受けるという苦い結果に終わる。

セーフティカー先導中にヤルノ・トゥルーリが追い抜きをしたとして、レース直後は3位に記録されたハミルトンだったが、その後の調査でマクラーレンは"故意にスチュワードをミスリードする証言をした"としてレース結果を抹消されてしまったのだ。

シーズン第9戦を終えて獲得したのはわずか14ポイントと、前途多難なスタートを切ったマクラーレンだったが(ちなみに2008年シーズンは初戦だけで14ポイントを獲得している)、次第に、ハミルトンを2008年ワールドチャンピオンに導いた安定性を見せ始めると、残り2戦となったブラジルでライバルのフェラーリを逆転、コンストラクターズ選手権3位と面目を保った。

2010年、マクラーレンは"Fダクト"のパイオニアとなり、好調なスタートを切る。これは直線での空気抵抗を減らして速度を増加させるものだったが、ライバルのレッドブルに対してはダウンフォースの不足をわずかにカバーするのみだった。それにもかかわらず、シーズン前半の一貫性によりハミルトンはイタリアGPとシンガポールGPで2つのミスを犯すまでタイトル争いの一角をなしている。その後、チームは数々の改善を施すも期待外れの結果となり、ハミルトンとバトンはドライバーズチャンピオンシップで4位と5位に終わった。

2011年にもタイトルを勝ち取るだけのパッケージを実現できなかったマクラーレン。翌年の序盤には運用上のトラブルに手を焼いている。ウィットマーシュはハミルトンの引き止めに必敗し、2012年シンガポールGPの後にハミルトンはメルセデスへの移籍を発表する。代わって2013年にはセルジオ・ペレスがバトンのパートナーとして合流した。

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マクラーレンを率いるウィットマーシュ

     

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