ジャン・トッド  フランス

  • 氏名 ジャン・トッド
  • 生年月日 1946年2月25日
  • 出身地 フランスピエルフォー
  • 年齢 68歳241日
  • チーム フェラーリ
  • その他 運営, チーム代表
driver portrait
プロフィール

優勝請負人ともいわれるジャン・トッドは、F1における要職をマックス・モズレーから譲り受けることになった。数年来にわたりスポーツを揺るがしてきたスキャンダルのあと、トッドがパドックの調和を回復できるかどうかにすべての注目が集まっている。

第二次世界大戦でポーランドからフランスに逃げ延びたユダヤ人医師の息子として生まれたトッドが、初めてレースの世界に足を踏み入れたのは、父親のミニ・クーパーSを借りて友人のジャン-クロード・ルフェーブルとラリーに参加したとき。

それ以来すっかり虜になってしまったトッドは、やがてプロのコ・ドライバーになる。1969年には国際的なステージで戦うようになり、ラリーの世界でトップドライバーの補佐役を務めた。

1981年に競技を引退すると、プジョー・タルボ・スポールを設立。ディレクターとしてレース活動に関わり、チームはマニュファクチャラーとして2度、ドライバーで2度のタイトルを獲得している。その業績をたたえられたトッドは、フランスの爵位にあたるレジオンドヌール勲章を授けられた。

だが、プジョーがF1に参戦することはついになく、フェラーリからオファーを受けた1993年、トッドはそのチャンスに飛びつく。

当時のフェラーリは低迷期で、1991年から1993年の間1勝も挙げられず、チャンピオンシップでの勝利も1983年以来遠ざかっていた。チームにとってトッドの加入は運命の転換点となり、彼は1996年にミハエル・シューマッハとロス・ブラウンを説き伏せてチームに呼び入れる。そして、トッド指導のもと、フェラーリは1994年から2004年にかけて6連続のコンストラクターズタイトルを含む、13の世界タイトルを獲得するという偉業を成し遂げるのだ。

だが、成功には代償がつきまとうもの。トッドのシューマッハびいきには批判も多く、ルーベンス・バリチェロを代表とするシューマッハのチームメイトは常に不満を口にし続けた。そして2007年、マクラーレンがスパイゲートで有罪とみなされ、フェラーリにコンストラクターズタイトルが転がり込むと、トッドの評判はますます下落した。

1975年以来組織に関わっていることもあり、2004年頃からトッドには会長のモズレーの後任としてFIAの選挙に出馬するといううわさが出始めた。また、シューマッハがフェラーリを去るときはトッドも後を追うだろうとも言われていた。フェラーリのルカ・ディ・モンテゼモーロ会長はトッドをフェラーリ社全体のチーフに抜擢したが、彼は2009年3月にその職を辞している。

2009年10月、トッドは対立候補で元ラリードライバーのアリ・バタネンに大差をつけてFIA会長に選任される。得票数はトッドが135票、バタネンが49票だった。FIA会長としてのトッドの在任期間は、F1以外の仕事に集中したために前任のモズレーと比較して静かなスタートを切った。一方、議論を呼んだ2011年と2012年のバーレーンGP開催をめぐっては、強力なリーダーシップを発揮しなかったとして批判の声もある。

2013年末には対抗馬なくして2期目に選出されたトッド。前任者が懸命に取り組みながらも成し遂げなかったF1予算制限の導入に期待がかかるも、道のりは遠い。

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