中嶋 一貴 日本
| Year | Car | Race | Start | Won | Pod | Class | Best | Pole | Front | Best | Lap | Hat | Pts | Pos | ||||
|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
| 2007 | Williams | 1 | 1 | 0 | 0 | 1 | 10 | 0 | 0 | 19 | 0 | 0 | 0 | - | ||||
| 2008 | Williams | 18 | 18 | 0 | 0 | 16 | 6 | 0 | 0 | 10 | 0 | 0 | 9 | 15 | ||||
| 2009 | Williams | 17 | 17 | 0 | 0 | 13 | 9 | 0 | 0 | 5 | 0 | 0 | 0 | - | ||||
| Total | 36 | 36 | 0 | 0 | 30 | 6 | 0 | 0 | 5 | 0 | 0 | 9 |
| グランプリ | サーキット | 開催日 | ||
|---|---|---|---|---|
| デビュー戦 | ブラジルGP | インテルラゴス | 2007年10月21日 | レース結果 |
| ラストレース | アブダビGP | ヤス・マリーナ | 2009年11月1日 | レース結果 |
2009年に結果を残せなかった中嶋一貴は、3年間におよぶウィリアムズ生活に別れを告げることとなった。TDP(トヨタ・ヤング・ドライバーズ・プログラム)出身で2007年にウィリアムズのテスト兼リザーブドライバーに就任、その後、レースシートをつかんだ中嶋だったが、トヨタが2009年いっぱいでF1活動を終えたことも関係し、ウィリアムズ残留を果たせなかったのだ。
ロータスとティレルで活躍した日本人初のフルタイムF1ドライバー、中嶋悟氏の長男として生まれた中嶋は、レースが身近にある環境で成長した。その中嶋がトヨタの支援を受けるようになったきっかけは、カートの鈴鹿選手権シリーズICAクラスで勝利を収めたこと。2003年にはフォーミュラ・トヨタに参戦し、タイトルを獲得している。しかしながら、これまでのところ、中嶋が手にした選手権タイトルはこれだけだ。全日本F3選手権とF3ユーロシリーズでは勝利を収めたものの、チャンピオンシップ制覇を達成することはできなかった。
ヨーロッパに活動拠点を移した中嶋はマノーでF3ユーロシリーズを戦った後、2007年にGP2の中堅チームであるフランスのDAMSに加入。5戦連続で表彰台に立つなど堅実な走りが評価され、チームの躍進に貢献した。GP2では勝利こそマークできなかったものの、ルーキー・オブ・ザ・イヤーに輝いている。
2007年GP2最終戦をバレンシアで戦い終えた中嶋に、ウィリアムズからレース参戦のオファーが飛び込んだ。翌年からHonda Racing F1のリザーブドライバーに就任することになったアレキサンダー・ブルツの代役として、ブラジルGPに出走するというものだ。こうして中嶋は父・悟氏と同じくブラジルGPでF1デビューを果たし、10位でチェッカーを受ける。ベストタイムでは5位のタイムを記録したが、初めて臨んだレース中のピットストップではクルーをはねてしまうミスも見られた。
中嶋の堅実的な走りに好印象を持ったウィリアムズは、2008年のレギュラードライバーとして中嶋を起用すると発表。開幕戦オーストラリアGPではロバート・クビサ(BMWザウバー)に追突するミスを犯したものの、6位入賞を果たした。ちなみに、父・悟氏もデビュー2戦目で6位入賞を達成している。ルーキーシーズンとなった2008年は予選では1度しかトップ10入りを決められなかったものの、レースは必要な局面でしっかりとポイントを手にする堅実的な戦いぶりを見せた。
しかし2009年はそう簡単には進まなかった。開幕戦ではポイント獲得のチャンスがある位置を走行しながらも、単独スピンを喫してリタイア。イギリスGPではF1最高位となる予選5番手をゲットし、スタートでキミ・ライコネン(フェラーリ)をかわしたものの、ポジションを守れずに11位フィニッシュ。結局、チームメイトのニコ・ロズベルグが34.5ポイントを手にしたのに対し、中嶋はノーポイントという不本意な成績でシーズンを終えることとなった。
チームは2009年最終戦終了後、2010年のドライバーとしてニコ・ヒュルケンベルグとルーベンス・バリチェロを起用すると発表。これで中嶋とウィリアムズの関係が終了した。
【長所と短所】
中嶋の弱点は予選にある。1周のアタックでマシンの能力を限界まで引き出すことに苦労している。その結果としてグリッド位置が悪くなり、レース結果にも影響を与えてしまうのだ。GP2時代には名だたるライバルに対して臆することなくアグレッシブな攻撃を仕掛ける場面を見せており、フィーリングが合うマシンを手に入れたときには実力を披露できるタイプのドライバーと言えよう。
【キャリア最高の瞬間】
大荒れの2008年開幕戦で6位入賞を達成しているが、ウィリアムズで走った34戦すべてで、そのようなパフォーマンスを見せることはできなかった。
【キャリア最低の瞬間】
2009年開幕戦では縁石に乗り上げたことも影響して単独スピン。そのままコンクリートウオールに激しくヒットし、ポイント獲得のチャンスを失っただけでなく、サーキットドクターの診察を受けなければいけなかった。
【注目のコメント】
パトリック・ヘッド(ウィリアムズ/エンジニアリングディレクター)
「良い結果を残すために、彼にはもう少し速さが必要だ。グリッド位置をいくつか上げる必要がある」
中嶋一貴
「父の影響でレースに興味を持ったと言えると思います。もし父がドライバーではなかったら、僕は今頃別のことをやっていたかもしれません」
【トリビア】
弟の大祐もレースドライバー。2009年はイギリスF3選手権に挑み、総合7位だった。父親の悟氏を含め、3人でゴルフを楽しむこともあるという。
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