ルイス・ハミルトン イギリス
- 氏名 ルイス・カール・ハミルトン
- 生年月日 1985年1月7日
- 出身地 イギリス・トゥイン
- 年齢 34歳48日
- 身長 1.75 m
- 体重 66 kg
- 現所属チーム メルセデス
- 過去の在籍チーム マクラーレン

# | Grand Prix | Circuit | Date | Car | Pos | Pts | Qual | FL |
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1 | オーストラリア | アルバート・パーク | 3月25日 | メルセデス (F1 W09 EQ Power+) | 2 | 18 | 1 | |
2 | バーレーン | サヒール | 4月8日 | メルセデス (F1 W09 EQ Power+) | 3 | 15 | 9 | |
3 | 中国 | 上海 | 4月15日 | メルセデス (F1 W09 EQ Power+) | 4 | 12 | 4 | |
4 | アゼルバイジャン | バクー | 4月29日 | メルセデス (F1 W09 EQ Power+) | 1 | 25 | 2 | |
5 | スペイン | カタロニア | 5月13日 | メルセデス (F1 W09 EQ Power+) | 1 | 25 | 1 | |
6 | モナコ | モナコ | 5月27日 | メルセデス (F1 W09 EQ Power+) | 3 | 15 | 5 | |
7 | カナダ | モントリオール | 6月10日 | メルセデス (F1 W09 EQ Power+) | 5 | 10 | 4 | |
8 | フランス | ポール・リカール | 6月24日 | メルセデス (F1 W09 EQ Power+) | 1 | 25 | 1 | |
9 | オーストリア | シュピールベルク | 7月1日 | メルセデス (F1 W09 EQ Power+) | - | 2 | ||
10 | イギリス | シルバーストーン | 7月8日 | メルセデス (F1 W09 EQ Power+) | 2 | 18 | 1 | |
11 | ドイツ | ホッケンハイム | 7月22日 | メルセデス (F1 W09 EQ Power+) | 1 | 25 | 14 | FL |
12 | ハンガリー | ハンガロリンク | 7月29日 | メルセデス (F1 W09 EQ Power+) | 1 | 25 | 1 | |
13 | ベルギー | スパ | 8月26日 | メルセデス (F1 W09 EQ Power+) | 2 | 18 | 1 | |
14 | イタリア | モンツァ | 9月2日 | メルセデス (F1 W09 EQ Power+) | 1 | 25 | 3 | FL |
15 | シンガポール | シンガポール | 9月16日 | メルセデス (F1 W09 EQ Power+) | 1 | 25 | 1 | |
16 | ロシア連邦 | ソチ | 9月30日 | メルセデス (F1 W09 EQ Power+) | 1 | 25 | 2 | |
17 | 日本 | 鈴鹿 | 10月7日 | メルセデス (F1 W09 EQ Power+) | 1 | 25 | 1 | |
18 | アメリカ合衆国 | オースティン | 10月21日 | メルセデス (F1 W09 EQ Power+) | 3 | 15 | 1 | FL |
19 | メキシコ | メキシコシティ | 10月28日 | メルセデス (F1 W09 EQ Power+) | 4 | 12 | 3 | |
20 | ブラジル | インテルラゴス | 11月11日 | メルセデス (F1 W09 EQ Power+) | 1 | 25 | 1 | |
21 | アブダビ | ヤス・マリーナ | 11月25日 | メルセデス (F1 W09 EQ Power+) | 1 | 25 | 1 |
Year | Car | Race | Start | Won | Pod | Class | Best | Pole | Front | Best | Lap | Hat | Pts | Pos | ||||
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2007 | McLaren | 17 | 17 | 4 | 12 | 16 | 1 | 6 | 12 | 1 | 2 | 1 | 109 | 2 | ||||
2008 | McLaren | 18 | 18 | 5 | 10 | 17 | 1 | 7 | 9 | 1 | 1 | 1 | 98 | 1 | ||||
2009 | McLaren | 17 | 17 | 2 | 5 | 14 | 1 | 4 | 4 | 1 | 0 | 0 | 49 | 5 | ||||
2010 | McLaren | 19 | 19 | 3 | 9 | 15 | 1 | 1 | 4 | 1 | 4 | 0 | 240 | 4 | ||||
2011 | McLaren | 19 | 19 | 3 | 6 | 16 | 1 | 1 | 8 | 1 | 3 | 0 | 227 | 5 | ||||
2012 | McLaren | 20 | 20 | 4 | 7 | 15 | 1 | 7 | 11 | 1 | 1 | 0 | 190 | 4 | ||||
2013 | Mercedes | 19 | 19 | 1 | 5 | 18 | 1 | 5 | 9 | 1 | 1 | 0 | 189 | 4 | ||||
2014 | Mercedes | 19 | 19 | 11 | 16 | 16 | 1 | 7 | 15 | 1 | 7 | 3 | 384 | 1 | ||||
2015 | Mercedes | 19 | 19 | 10 | 17 | 18 | 1 | 11 | 18 | 1 | 8 | 4 | 381 | 1 | ||||
2016 | Mercedes | 21 | 21 | 10 | 17 | 19 | 1 | 12 | 15 | 1 | 3 | 1 | 380 | 2 | ||||
2017 | Mercedes | 20 | 20 | 9 | 13 | 20 | 1 | 10 | 13 | 1 | 7 | 4 | 363 | 1 | ||||
2018 | Mercedes | 21 | 21 | 11 | 17 | 20 | 1 | 11 | 14 | 1 | 3 | 0 | 408 | 1 | ||||
Total | 229 | 229 | 73 | 134 | 204 | 1 | 82 | 132 | 1 | 40 | 14 | 3018 |
グランプリ | サーキット | 開催日 | ||
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デビュー戦 | オーストラリアGP | アルバート・パーク | 2007年3月18日 | レース結果 |
ラストレース | アブダビGP | ヤス・マリーナ | 2018年11月25日 | レース結果 |

ルイス・ハミルトンは将来F1チャンピオンになるであろう有望なドライバーとして早い段階から注目され、その期待に応えてきた。2007年のF1初シーズンでは、わずか1ポイント差でチャンピオンシップを逃したものの、これが翌年の布石となり、史上最年少世界チャンピオンに輝くのである。
ハミルトンはチャンピオンシップを狙えるマシンが常に与えられるという、ライバルからすればうらやましいポジションにいたが、2009年はすべてが変わった。パフォーマンスに欠けるマシンでは表彰台の頂点に立つのが難しいということが明白になったのだ。
当時8歳だった1993年に地元ハートフォードシャー州にあるライ・ハウス・カート・サーキットでカートを始め、F1への初めの一歩を踏み出したハミルトン。10歳でイギリスのチャンピオンに輝いたハミルトンは、オートスポーツ・アワードのセレモニーでマクラーレンのボス、ロン・デニスに近づきこう言った。
「いつか、あなたのところでレースをしたい」
その際、デニスはハミルトンが持っていたサイン帳に「9年後に連絡するように」とメッセージを残している。それから3年のうちに、デニスはハミルトンと契約を結び、マクラーレン・メルセデス・ヤング・ドライバー・サポート・プログラムに迎え入れた。
資金援助を得たハミルトンはシングルシーターに挑戦、2002年にフォーミュラ・ルノーに参戦すると、2年目には2戦を残して早々とチャンピオンシップ制覇を決めた。2004年はF3ユーロシリーズにステップアップし、再び2年目に圧勝してチャンピオンに輝く。翌2006年には初参戦のGP2シリーズでタイトルを手に入れている。
同年、キミ・ライコネンがフェラーリへ移籍し、ファン-パブロ・モントーヤがNASCARに転向したため、マクラーレンには新たなドライバーが2人必要となった。スペイン人ドライバーのフェルナンド・アロンソを獲得していたマクラーレンは11月、そのチームメイトにハミルトンを指名する。
驚くほどに、ハミルトンのF1デビューシーズンは劇的だった。開幕戦から9戦連続で表彰台に上り、世界チャンピオンの座に君臨するアロンソを上回るパフォーマンスを見せたのだ。カナダGPで初優勝を果たすと、その1週間後のアメリカGPでも連勝。ハミルトンがチャンピオンシップをリードした時には、ルーキーイヤーに世界チャンピオンに輝くという想像を超える偉業を達成するのではないかとの期待も高まったほど。
シーズン後半戦では激しいクラッシュやアロンソとの関係に緊張が高まるなど、さまざまな問題を抱えたハミルトンだったが、チャンピオンシップをリードしたまま、ついに最終戦ブラジルGPを迎える。ハミルトンはアロンソに4ポイント差、ライコネンには7点差をつけていた。もしもレース中盤でギアボックスに問題が発生しなければ、ハミルトンが容易にチャンピオンの座を獲得していたことだろう。しかし、結果的に、たった1ポイント差でタイトルを逃してしまった。
アロンソが古巣ルノーに戻った2008年シーズン、マクラーレンはチーム内に調和を取り戻した。ハミルトンの決意に再び火が付き、バーレーンGPフリー走行での大クラッシュといった失敗をもろともせず、一連の勝利を収め、モナコGPまでにはチャンピオンシップリーダーの位置に立っていた。
そして再びチャンピオンシップの行方はブラジルでの最終戦にゆだねられる。ハミルトンは7ポイントのリードを築き、タイトルを獲得するには5位以内に入ればよかった。ライバルのマッサが優勝を決め、フェラーリのガレージでは大歓声が上がる中、ハミルトンはファイナルラップを6番手で走行する。天候の変化に影響されたレース終盤、トヨタのティモ・グロックをとらえたハミルトンは5番手に浮上し、そのままチェッカーを受けて何と今度は1ポイント差でタイトルを獲得したのだった。
ハミルトンにとって、F1デビュー最初の2年間が夢だったとするなら、3年目は悪夢だったに違いない。シーズン10戦までに獲得したポイントはわずか9ポイント。ドイツGPでは調子が出ないマクラーレンのマシンに空力的な改善が施され、回復の兆しが見えたものの、シーズン後半の成績は2勝と2回の表彰台獲得が精いっぱい、ランキング5位でシーズンを終えた。
マクラーレンと2012年末まで契約をかわしていたにもかかわらず、2011年も離脱の可能性がささやかれたハミルトン。当時、自身の将来はチームとともにあると主張していたハミルトンだが、マクラーレンは2012年もチャンピオンシップ争いに絡むことができず、ハミルトンの忍耐も尽きてしまう。
同シーズンは2回のポールポジション獲得と3戦連続表彰台という有望な形で幕を開けるも、序盤戦のペースセッターだったマクラーレンは徐々にライバルたちに追いつかれ、シーズン中盤にはチームとハミルトンの関係にヒビが生じ始める。9月下旬、さらなる評価と2度目のタイトルを切望するハミルトンは、2013年にメルセデスへ移籍することを発表した。
移籍後初のプレシーズンテストは有望だったものの、ハミルトン自身は高まる周囲の期待を和らげようとする。しかし、新チーム加入後2戦目にしてハミルトンが表彰台へ上り、メルセデスはレッドブルの最大のライバルに浮上した。さらに第3戦中国GPではポールポジションを獲得。しかしながら、タイヤ問題によりマシンは弱体化してしまう。メルセデスのタイヤテスト騒動で汚点をつけられてしまったが、ハミルトンにとって間違いなくハイライトだったのは、ハンガリーGPの圧勝と、ランキング4位になったことだろう。序盤の予測を裏切り、同年のポイントはハミルトン自身が2012年にマクラーレンで稼いた得点まであと1点のところまで迫った。
新V6エンジン時代の幕開けとなった2014年はメルセデスがライバルたちに先んずる。本人も認めたように、ハミルトンは自身2度目のタイトル獲得に向けて最高のチャンスをもたらすマシンを手に入れた。時に、チームメイトでありカート時代からの友人であるロズベルグと苦いライバル関係におちいりながらも11勝を挙げ、最終戦アブダビGPの圧倒的な勝利で、長く待ち望んだ2度目の栄冠を飾っている。
ディフェンディングチャンピオンとして臨んだ2015年は開幕から12戦で11ポールポジションを獲得する破竹の勢いで2年連続の戴冠を確実のものにしていくハミルトン。少年時代から敬愛するアイルトン・セナに並ぶ3度の選手権制覇を果たしたのはシーズン第16戦US GPでのことだった。ただ、第13戦シンガポールGPで不調に陥ったメルセデスが開発の方向性を修正したのをきっかけに、ハミルトンはマシンバランスに満足できなくなり、終盤戦では僚友の活躍に押される場面が増えた。ハミルトンはこの点を2016年に向けて改善すべきポイントだと指摘し、憂いなき新シーズン開幕を求めている。
しかしながら、翌シーズンは好調を維持するチームメイトがスタートダッシュを決めた一方、エンジントラブルやスタートの失敗に苦しめられたハミルトンはランキングトップに躍り出たロズベルグに序盤4戦で43ポイントもの差をつけられた。第5戦スペインGPでメルセデスコンビが同士討ちを演じてからは風向きが変わり、ハミルトンが以降7戦で6勝してチャンピオンシップリーダーの座を奪取。ロズベルグが反撃に出た夏休み後は首位から転落したハミルトンだが、表彰台には上り続けたおかげで得点差はそれほど開いていなかった。だが、第16戦マレーシアGPでトップを走っていた際にエンジンブローが発生してリタイアを喫したこと、そして、続く第17戦日本GPのスタートで出遅れたことでロズベルグのリードが確固たるものになり、ハミルトンが自力でタイトルを勝ち取る可能性は消滅。最後まであきらめることなくプッシュし続けたハミルトンは選手権優勝の最低条件であるラスト4戦での勝利を見事に果たしたが、ロズベルグも自身に必要なリザルトを手堅く確保し、ハミルトンはコンビを組んで4年目にして初めてロズベルグに敗れている。
王者になるという夢をかなえたロズベルグが2016年シーズン終了直後に引退を表明したため、2017年にはウィリアムズからバルテリ・ボッタスが移籍してハミルトンの新パートナーとなった。チームへの順応も必要だったボッタスとハミルトンの差はシーズンが進むにつれて大きくなり、この年はチームメイトではなく、フェラーリのセバスチャン・ベッテルがタイトル争いの最大のライバルとなる。形勢は両者の間で揺れ動き、前半戦はベッテルがリードする形で折り返したものの、第12戦ベルギーGP以降の6戦中5戦で優勝したハミルトンが第18戦メキシコGPで4度目の戴冠を確定させた。また、この年ハミルトンはミハエル・シューマッハが保持していたポールポジション記録を塗り替えた。
前年に引き続きボッタスとのコンビで迎えた2018年シーズンは、再びフェラーリのベッテルとの争いを繰り広げることになる。開幕2戦でベッテルに連勝を許しポイントで先行されるも、第4戦アゼルバイジャンGPでようやく勝利を収める。その後はベッテルと一進一退の攻防を続けたが、第11戦のドイツGPがシーズンのターニングポイントとなった。ベッテルのリタイアがありながらも予選14番手からの優勝で勢いに乗り、それからシーズン後半は、前年と同じく勝利を重ね、第19戦のメキシコGPでファンジオに並ぶ5度目のドライバーズチャンピオン獲得を決めた。その後の最終2戦も連勝しグランプリ優勝回数を73に積み上げた。ハミルトンが次に目指すのは、ミハエル・シューマッハの持つ最多ドライバーズチャンピオン(7回)あるいは最多優勝回数(91回)か。
【長所と短所】
ハミルトンのドライビングスタイルを見れば、彼が他のドライバーより抜きん出て優秀であることが分かる。ライバルに気づかれずオーバーテイクする操作にも自信があり、ほとんどの場合、成功させるスキルがある。オーバーステア気味にマシンをセットアップするのが好みであることも、彼に素早い反応ができるからこそだ。しかし、すべてのレースに勝ちたいという思いが強いために、ポイントを確実に積み重ねるよりも上位入賞を狙ってレースを落とす、というように時折裏目に出ることもある。
【キャリア最高の瞬間】
2015年に3戦を残した時点で、自身のヒーローであるセナの記録に並ぶ3度目の選手権優勝を遂げたこと。チームからタイトル獲得が決まったと告げられたハミルトンは感情の波に襲われて応答できなかったが、無線を通して聞こえてくるすすり泣きは言葉よりも雄弁にその思いを伝えていた。
【キャリア最低の瞬間】
2009年オーストラリアGPにて、ヤルノ・トゥルーリとの接触で振られたイエローフラッグをめぐり、「レーススチュワードに虚偽の証言をした」として失格処分になったこと。
【注目のコメント】
「死を怖いと思っていないから考えない。危険を感じたときに出るアドレナリンがたまらないんだ。高いビルからバンジージャンプをするときにアドレナリンが出る人もいるけれど、残念ながら僕は競争が好きな人間なんだ。自分が挑戦することすべてにおいてトップに立ちたい。それはレースだけではなく、全部ね。それがたとえ、ギターを弾くことであっても。できる限りトップに立ちたいと思っている」
◆ スターリング・モス卿
「モーターレーシングの世界に60年間かかわってきたが、私を一番喜ばせてくれたのは間違いなくハミルトンだ。彼はただ単にマシンを駆るだけではなく、根っからのレーサーだよ。彼は一分の隙も見逃さない」
【トリビア】
ハミルトンは、イギリスBBCの長寿番組"Blue Peter(ブルー・ピーター)"に出演した人だけに与えられるブルー・ピーター・バッジを3つ所有しており、それが自慢である。最初のバッジは、ハミルトンが6歳の時に番組に出演し、リモコンカーを操作したときに獲得、2つ目と3つ目は、それぞれ12歳と16歳の時にカートで獲得した。
2007年と2008年に逃した『BBC』のスポーツ・パーソナリティ・オブ・ザ・イヤーを、2度目の戴冠を果たした2014年に受賞した。
ルイス・ハミルトンは2009年の新年の叙勲でMBE(大英勲章第5位)を授けられている。
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日毎に感触が良くなっているとメルセデス勢 (2019年2月22日)
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- ボッタスとハミルトンが作業を分担して150周 (2019年2月19日)
2019年2月21日 ![]() 徐々にスピードに乗るハミルトン © JOSEP LAGO/AFP/Getty Images |
2019年2月21日 ![]() ピットインするハミルトン © Andrea Diodato/NurPhoto via Getty Images |
2019年2月21日 ![]() テスト走行に集中するハミルトン © Dan Istitene/Getty Images |
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