エイドリアン・スーティル  ドイツ

driver portrait
2014年の世界選手権
# Grand Prix Circuit Date Car Pos Pts Qual FL
1 オーストラリア アルバート・パーク 3月16日 ザウバー (C33) 11 13
2 マレーシア セパン 3月30日 ザウバー (C33) - 16
3 バーレーン サヒール 4月6日 ザウバー (C33) - 22
4 中国 上海 4月20日 ザウバー (C33) - 14
5 スペイン カタロニア 5月11日 ザウバー (C33) 17 16
6 モナコ モナコ 5月25日 ザウバー (C33) - 18
7 カナダ モントリオール 6月8日 ザウバー (C33) 13 16
8 オーストリア シュピールベルク 6月22日 ザウバー (C33) 13 16
9 イギリス シルバーストーン 7月6日 ザウバー (C33) 13 13
10 ドイツ ホッケンハイム 7月20日 ザウバー (C33) - 15
11 ハンガリー ハンガロリンク 7月27日 ザウバー (C33) 11 11
12 ベルギー スパ 8月24日 ザウバー (C33) 14 14
13 イタリア モンツァ 9月7日 ザウバー (C33) 15 14
14 シンガポール シンガポール 9月21日 ザウバー (C33) - 17
15 日本 鈴鹿 10月5日 ザウバー (C33) - 14
16 ロシア連邦 ソチ 10月12日 ザウバー (C33) 16 14
17 アメリカ合衆国 オースティン 11月2日 ザウバー (C33) - 9
18 ブラジル インテルラゴス 11月9日 ザウバー (C33) 16 13
19 アブダビ ヤス・マリーナ 11月23日 ザウバー (C33) 16 13
F1キャリア / 戦績
Year Car Race Start Won Pod Class Best Pole Front Best Lap Hat Pts Pos
2007 Spyker 17 17 0 0 10 8 0 0 19 0 0 1 19
2008 Force India 18 18 0 0 7 13 0 0 16 0 0 0 -
2009 Force India 17 17 0 0 13 4 0 1 2 1 0 5 17
2010 Force India 19 19 0 0 15 5 0 0 4 0 0 47 11
2011 Force India 19 19 0 0 17 6 0 0 8 0 0 42 9
2013 Force India 19 19 0 0 15 5 0 0 6 0 0 29 13
2014 Sauber 19 19 0 0 11 11 0 0 9 0 0 0 -
Total 128 128 0 0 88 4 0 1 2 1 0 124
グランプリ サーキット 開催日
デビュー戦 オーストラリアGP アルバート・パーク 2007年3月18日 レース結果
ラストレース アブダビGP ヤス・マリーナ 2014年11月23日 レース結果
プロフィール
© Sutton Images

エイドリアン・スーティルはレースキャリアのスタートが比較的遅かったドライバーだ。カートを始めたのは14歳の時で、すぐにスイスのフォーミュラ・フォードに参戦。全12戦でポール・トゥ・ウインという圧倒的な速さを見せる。その後に挑んだフォーミュラBMWでは大きな成功を収められなかったが、F3ユーロシリーズでは本領を発揮。チームメイトのルイス・ハミルトンと切磋琢磨(せっさたくま)した結果、2005年シーズンのランキング2位に入った。2006年にはMF1のテストドライバーとなり、F1ドライブを経験した。

2006年は全日本F3選手権に参戦し、タイトルを獲得。翌年にはMF1からスパイカーに名前を変えたチームのレースシートを勝ち取り、F1デビュー。初戦では17位だったが、前年に慣れ親しんだ富士スピードウェイで行われた日本GPでは、予選20番手から8位入賞を果たしている。その年で消滅したスパイカーにとっては、スーティルがもたらした1点が生涯唯一の獲得ポイントとなった。

2007年オフ、スパイカーはインド人大富豪のビジェイ・マルヤに買収され、チーム名がフォース・インディアと改まる。スーティルは引き続きレースシートを確保したが、2008年はポイント獲得ならず。11戦でリタイアを喫した。

しかし2009年になるとマシンパフォーマンスが高まり、速さを見せるようになったスーティル。モンツァではマクラーレンのハミルトンに次ぐ予選2番手につける大躍進。期待されたレースでは初めての表彰台を逃すも、自己最高位となる4位入賞を果たした。

ブラジルGPでも予選3番手からレースに挑んだが、オープニングラップでヤルノ・トゥルーリ(トヨタ)と接触。その後、フェルナンド・アロンソ(ルノー)を巻き込んでリタイアとなり、トゥルーリはクラッシュの原因がスーティルにあるとして一方的に責め立てた。しかしレーススチュワードはスーティルに何のおとがめも与えず、代わりにトゥルーリにペナルティが科されている。

2010年は自らのポテンシャルを発揮し、合計で47点を獲得。チームメイトだったビタントニオ・リウッツィを上回り続けた。しかしながら、韓国GPではバリアや他車と危機一髪の瞬間が何度も見られ、無謀ともとれる走りで再びスーティルのレース技術に疑問符が灯る。

それにもかかわらず、フォース・インディアは2011年もスーティル続投を決断。これにより、スーティルは名前やオーナーは違えど、同じチームで5年目のF1シーズンを迎えた。見栄えはしないにしても堅実なスタートを切ったスーティルはラスト3戦で14ポイントを獲得し、力強い形で1年を締めくくる。とは言え、その結果もレースシートを維持するには十分ではなく、2012年はニコ・ヒュルケンベルグと交代する形でグリッドから去った。

しかしながら、それから1年でヒュルケンベルグがザウバーへと移籍することが決まり、フォース・インディアは空席を埋めるドライバーを探すことになる。その候補に挙がったのはスーティルと前年にチームのテストドライバーを務めたジュール・ビアンキだった。第2回プレシーズンテストに両者が参加した後、最終的にレースドライバーに選ばれたスーティルは、ポール・ディ・レスタと再びコンビを組んで新たなシーズンに臨んだ。

この年、強力なスタートを切りながらもタイヤ変更とマシンの開発不足で成績が低迷したフォース・インディアはドライバーラインアップの一新を決断。チームはヒュルケンベルグと再び契約する傍ら、セルジオ・ペレスをそのチームメイトに起用した。一方で、フォース・インディアのシートを失うことになったスーティルはすでに移籍の準備を整えており、2014年はザウバードライバーとして戦うことが直後に発表されている。

【長所と短所】

生まれ持った才能により、予選アタックでは印象的な走りを見せるスーティル。たとえ競争力が低いマシンであっても、驚くようなポジションを手にすることも多い。しかし特に2009年シーズンは接触シーンが多く、一部では危険なドライバーというレッテルをはられてもいた。

【キャリア最高の瞬間】

2009年イタリアGPでは、F3時代のチームメイトで親友のハミルトンと共にフロントローに並んだ。レースでもファステストラップをマークし、自己最高位となる4位入賞を果たしている。

【キャリア最低の瞬間】

2008年モナコGPで18番手からスタートしたスーティルは、混乱に乗じて4番手まで浮上。しかし、後ろを走っていたキミ・ライコネンがトンネル直後のシケインでブレーキングミスすると、そのままスーティルと接触。スーティルのマシンは大きなダメージを受け、ピットに帰還してリタイアを喫している。これにはスーティル本人だけでなく、フォース・インディア初ポイントを期待していたチームスタッフも大きな落胆に暮れていた。

【注目のコメント】

エイドリアン・スーティル

「自分に何ができるかはコース上で証明したいんだ。自分自身がもっとやれると分かっているのに、いつも後方で戦うというのは本当に辛い。自分の力を証明したいけど、マシンがそれを許してくれないんだ」

コリン・コレス(元スパイカー代表)

「彼は才能ある若きドライバーだが、マシンパフォーマンスについてはわれわれの能力を現実的に受け止めなければならない。常にマシン改良に努めているが、彼が最高のチームや最高のドライバーと戦うためには、彼により良いものを提供しなければならないのだ。エイドリアンは将来有望。いずれ、コース上でルイス・ハミルトンの大きなライバルになるものと信じているよ」

【トリビア】

父ホルヘ・スーティルはウルグアイ出身のバイオリニストだ。スーティル自身も幼いころからピアノの英才教育を受けており、カートに出会うまでは父と同じ音楽家というキャリアをまい進するつもりだった。

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