ビタントニオ・リウッツィ  イタリア

driver portrait
F1キャリア / 戦績
Year Car Race Start Won Pod Class Best Pole Front Best Lap Hat Pts Pos
2005 Red Bull 4 4 0 0 2 8 0 0 11 0 0 1 24
2006 Toro Rosso 18 18 0 0 14 8 0 0 12 0 0 1 19
2007 Toro Rosso 17 17 0 0 10 6 0 0 11 0 0 3 18
2009 Force India 5 5 0 0 4 11 0 0 7 0 0 0 -
2010 Force India 19 19 0 0 12 6 0 0 6 0 0 21 15
2011 HRT 18 17 0 0 12 13 0 0 20 0 0 0 -
Total 81 80 0 0 54 6 0 0 6 0 0 26
グランプリ サーキット 開催日
デビュー戦 サン-マリノGP イモラ 2005年4月24日 レース結果
ラストレース ブラジルGP インテルラゴス 2011年11月27日 レース結果
プロフィール
© Sutton Images

若き日のカート時代は同世代のドライバーの中で最も注目を集める1人だったビタントニオ・リウッツィ。2001年のカート世界選手権で優勝し、ミハエル・シューマッハの両親が経営するドイツ・ケルペンのカート場では、シューマッハを打ち破る結果を残した。その後4輪レースに転向、フォーミュラ・ルノー、ドイツF3、ワールドシリーズbyニッサンに参戦するも、タイトルを獲得することはできず。

しかし国際F3000に参戦すると、その名を広く知らしめることとなる。2003年には印象的なシーズンを送り、ベストルーキーの称号をゲット。ハンガリーの予選ではわずか9周を走行しただけで、2番手以下に0.5秒の大差をつけてポールポジションに輝いた。2004年には全10戦で7勝を挙げ、タイトルを獲得。この記録は、ファン-パブロ・モントーヤとニック・ハイドフェルドに並ぶものだ。

当然、次なるステップとして期待されたのがF1。2005年はクリスチャン・クリエンとレッドブルのレースシートを共有するも、クリエンが13戦に出走したのに対してリウッツィは4レースの参戦にとどまった。それでも、デビュー戦サン-マリノGPでは、B・A・R Hondaの2台が失格になった影響もあってポイント獲得を果たしている。

2006年になると、新生トロ・ロッソのレギュラードライバーに就任し、チームメイトにスコット・スピードを迎える。マシンは1年落ちのレッドブルで、エンジンは吸入口にリストリクターがつけられたV10(この年からライバルチームはV8エンジンを使用)だったが、リウッツィはチームメイトを上回る走りを披露。チームが手にした唯一のポイントをゲットした。

トロ・ロッソがレッドブルと同じシャシーを与えられた2008年はエンジンもV8に移行する。しかし、リウッツィが手にしたのはわずか3ポイント。シーズン終盤にチームに加わったセバスチャン・ベッテルが印象的な走りを見せ、リウッツィが獲得した通算ポイントをわずか1レースで稼いでしまったのである。

2008年にはチャンプカー王者のセバスチャン・ボーデが加わったことでトロ・ロッソを追われたリウッツィ。スパイカーから生まれ変わったフォース・インディアのドライバーオーディションに参加し、レースドライバーにはなれなかったもののリザーブドライバーとして移籍した。

そして2009年、フェリペ・マッサが負傷欠場したことでジャンカルロ・フィジケラがフェラーリに加入。空いたフォース・インディアのシートに座ったのは、当然ながらリウッツィだった。再デビュー戦となったイタリアGPでは予選から速さを見せ、レースもポイント圏内を走行。しかし、ギアボックストラブルに見舞われて無念のリタイアを喫する。このシーズンは残る4レースに出走した。

2009年シーズンオフ、フォース・インディアはリウッツィを2010年もレースドライバーに起用すると発表。リウッツィにとってはこのチームで戦う最初のフルシーズンとなった。しかしながら、必ずしも本人の責任ではないトラブルに多く見舞われたリウッツィは完走もままならず、不本意な結果が続いてしまう。シャシーの問題多発に苦戦したリウッツィのパフォーマンスは、チームメイトであるエイドリアン・スーティルと比較するとかなり低迷しているように見えた。チームとは2011年の契約もかわしていたが、フォース・インディアはテストドライバーだったポール・ディ・レスタの昇格を切望し、リウッツィの離脱が決まる。

F1での生き残りは閉ざされたかと思われたものの、HRTに可能性を見いだし、ナレイン・カーティケヤンと共に2011年シーズンを戦うことになった。チームリーダーの役割を担い、苦しいスタートを切ったチームがシーズン末にはヴァージンに追いつく手助けをしたリウッツィは、カナダGPで13位に入る。しかし、シーズン中に変わった新オーナーがスペイン人ドライバーでのラインアップを望んでいることから、2012年も契約を結んでいながらもリウッツィの将来は不安定な状態に置かれている。

【長所と短所】

ワンラップアタックで速さを見せるドライバーだが、カートで見せた圧倒的な速さをF1ではまだ発揮できていない。

【キャリア最高の瞬間】

母国のファンが大勢見守るイモラで、デビュー戦初ポイント獲得を達成した。

【キャリア最低の瞬間】

F1デビューから2戦目と3戦目でクラッシュしたことにより、レース参戦のチャンスをつぶす。当初はクリエンと同等のレース数を戦うとみられていたものの、デビューシーズンはわずか4レースのドライブにとどまった。

【注目のコメント】

ビタントニオ・リウッツィ

「2007年シーズンの最後に僕がドライブしていなかったとすれば、それは絶対に僕を応援してくれなかったゲルハルト・ベルガー(当時のトロ・ロッソ共同オーナー)にすべての責任があるはずだ。過去にレッドブルで僕のレギュラードライバー就任を妨害したエイドリアン・ニューイのようにね」

(2006年、トロ・ロッソのレースドライバー就任時)

「これが僕にとって初めてのF1フルシーズンだけど、とてもエキサイティングな時になるだろう。少なくとも、シーズン終了までに2回は表彰台に上れるさ」

【トリビア】

F1ドライバーの中で、最も多くピアスを着飾る人物だ。左の耳に4つ、左のまぶたに1つのピアスが輝いている。

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