クリスチャン・クリエン オーストリア
- 氏名 クリスチャン・クリエン
- 生年月日 1983年2月7日
- 出身地 オーストリア フォアアールベルク州ホーエンエムス
- 年齢 30歳103日
- 身長 1.69 m
- 体重 68 kg
- チーム Honda, HRT, ジャガー, レッドブル
| Year | Car | Race | Start | Won | Pod | Class | Best | Pole | Front | Best | Lap | Hat | Pts | Pos | ||||
|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
| 2004 | Jaguar | 18 | 18 | 0 | 0 | 14 | 6 | 0 | 0 | 10 | 0 | 0 | 3 | 16 | ||||
| 2005 | Red Bull | 15 | 13 | 0 | 0 | 11 | 5 | 0 | 0 | 4 | 0 | 0 | 9 | 15 | ||||
| 2006 | Red Bull | 15 | 15 | 0 | 0 | 8 | 8 | 0 | 0 | 8 | 0 | 0 | 2 | 18 | ||||
| 2010 | HRT | 3 | 3 | 0 | 0 | 2 | 20 | 0 | 0 | 22 | 0 | 0 | 0 | - | ||||
| Total | 51 | 49 | 0 | 0 | 35 | 5 | 0 | 0 | 4 | 0 | 0 | 14 |
| グランプリ | サーキット | 開催日 | ||
|---|---|---|---|---|
| デビュー戦 | オーストラリアGP | アルバート・パーク | 2004年3月7日 | レース結果 |
| ラストレース | アブダビGP | ヤス・マリーナ | 2010年11月14日 | レース結果 |
クリスチャン・クリエンは1983年2月7日にオーストリアのホーヘエンスで生まれた。1996年に初めてカートで成功を収めると、1998年にフォーミュラBMWジュニア・チャンピオンシップにステップアップを果たす。
翌1999年には4レースで勝利を挙げ、フォーミュラBMWジュニア・チャンピオンシップで総合4位になる。その後、フォーミュラー・ルノー・チャンピオンシップに移り、2002年にチャンピオンを獲得した。
クリエンは2003年にF3ユーロシリーズに転向、4勝を挙げる。またポールポジションも6度獲得、表彰台に上ること9回を数えた。その成績で総合2位の座を仕留め、経歴の中でも最大のステップアップを果たす。2004年にジャガーのレギュラードライバーに起用され、F1シートを獲得したのだ。
ジャガーのスポンサーだったレッドブルのおかげで、クリエンは2004年にF1デビューを果たし、ベルギーGPでは6位入賞、初のポイントを獲得した。F3から飛び級で参戦するドライバーにとって、最初の年は学習の年となる。期待は大きかったものの、その期待にそうことはできず、予選でもチームメイトの速さには太刀打ちできなかった。
2004年のシーズン中に撤退を表明したジャガー・レーシングをレッドブルが買収。クリエンはそのレッドブルで、F3000チャンピオンのビタントニオ・リウッツィとセカンドシートを争った。
開幕戦オーストラリアGPで、いきなり7位入賞を果たしたクリエンは、続くマレーシアGPでも8位に入賞。しかし、3戦目のバーレーンGPでは電気系トラブルに泣いた。4戦目からはリウッツィがシートを引き継いだが、第8戦カナダGPでレースシートに返り咲き、最終戦中国GPでは見事5位でフィニッシュしている。
2006年シーズンは、クリエンにとって忘れてしまいたい年となったことだろう。開幕戦バーレーンGPでは8位入賞と、スタートは上々の出来だった。しかし、その後ポイントを獲得するまでに実に10レースものブランクを要してしまったのだ。このあたりからクリエンとレッドブルの関係は、ストレスのたまるものとなってきていた。レッドブルは2007年のドライバーをクルサードとマーク・ウェバーに決定、クリエンにはチャンプカーのシートをオファーする。しかし、クリエンはそれを拒否、イタリアGP後にレッドブルはクリエンに代えてロバート・ドーンボスをレースドライバーに据えた。
シーズン最終戦となったブラジルGPに姿を見せたクリエンは、Honda Racing F1とスパイカーF1と交渉を続けていた。その後、Honda Racing F1がクリエンをテスト兼リザーブドライバーに起用することを発表。クリエンは目標としていた"F1残留"を実現でき、さらに大手自動車メーカーである Hondaのテストドライバーの座を手にすることができたのだった。
しかし、レース復帰を目指すクリエンはHonda Racing F1とのテストドライバー契約を1年と見なす。Honda Racing F1の計らいでシーズン中盤にはスパイカーのテストに参加、シーズン終了後には新生フォース・インディアで再びテスト走行している。
フォース・インディアのレースシート獲得を目指したクリエンだが、最後のシートを手にしたのはジャンカルロ・フィジケラだった。また、元チームメイトのリウッツィは同チームのテストドライバーという役目を授かっている。
その能力を証明したクリエンは2008年に続き2009年もBMWザウバーのテスト兼リザーブドライバーとして活動する。
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クリエン、ウィリアムズでシミュレーションを担当 (2012年5月14日)
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リウッツィがHRTのシートを確保? (2011年3月7日)
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HRTのシートを狙うクリエン (2011年3月6日)
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クビサ代役候補にリウッツィら (2011年2月8日)
- 資金不足に悩まされたデビューイヤー (2010年12月30日)
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2010年11月7日 周回遅れのクリエンをかわすアロンソ © Getty Images |
2010年9月24日 クリエンが呼び込んだオーストリアスポンサーのロゴ © Sutton Images |
2010年9月24日 久々にステアリングを握ったクリエン © Sutton Images |
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