ティモ・グロック ドイツ
- 氏名 ティモ・グロック
- 生年月日 1982年3月18日
- 出身地 ドイツ・リンデンフェルス
- 年齢 37歳270日
- 身長 1.69 m
- 体重 64 kg
- チーム Jordan, トヨタ, マノー, ヴァージン

Year | Car | Race | Start | Won | Pod | Class | Best | Pole | Front | Best | Lap | Hat | Pts | Pos | ||||
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2004 | Jordan | 4 | 4 | 0 | 0 | 4 | 7 | 0 | 0 | 16 | 0 | 0 | 2 | 19 | ||||
2008 | Toyota | 18 | 18 | 0 | 1 | 14 | 2 | 0 | 0 | 5 | 0 | 0 | 25 | 10 | ||||
2009 | Toyota | 15 | 14 | 0 | 2 | 14 | 2 | 0 | 1 | 2 | 1 | 0 | 24 | 10 | ||||
2010 | Virgin | 19 | 18 | 0 | 0 | 10 | 14 | 0 | 0 | 15 | 0 | 0 | 0 | - | ||||
2011 | Virgin | 19 | 18 | 0 | 0 | 13 | 15 | 0 | 0 | 19 | 0 | 0 | 0 | - | ||||
2012 | Manor | 20 | 19 | 0 | 0 | 18 | 12 | 0 | 0 | 18 | 0 | 0 | 0 | - | ||||
Total | 95 | 91 | 0 | 3 | 73 | 2 | 0 | 1 | 2 | 1 | 0 | 51 |
グランプリ | サーキット | 開催日 | ||
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デビュー戦 | カナダGP | モントリオール | 2004年6月13日 | レース結果 |
ラストレース | ブラジルGP | インテルラゴス | 2012年11月25日 | レース結果 |

ティモ・グロックは過小評価されているが、F1デビューでポイントを獲得した優秀なドライバーの1人である。新チームのヴァージン・レーシングのドライバーとして参戦した2010年、グロックは見事にチームリーダーの役目を務め上げたものの、あまたあるチームの欠点を補い切ることはかなわず、チームはコンストラクターズ選手権最下位でデビューイヤーを終えた。
グロックのモータースポーツデビューは比較的遅く、レースを始めたのは15歳になってからだった。しかし、すぐに頭角を見せ始め、カートレースで数々の優勝を収めた後、フォーミュラBMWへと進んだ。2002年、ドイツF3の熾烈な優勝争いに参戦し、デビューシーズンを3位でフィニッシュ。ベストルーキーを獲得した。次に進んだF3ユーロシリーズの成績は3勝に加え3度表彰台に上ったものの、5位にとどまった。
2004年、ジョーダンとテストドライバー契約をかわしたが、カナダ戦で急きょF1デビューを果たす。というのも、レギュラードライバーであるジョルジオ・パンターノとチームとの間に契約上の問題が発生し、代役として出走のチャンスがめぐってきたのだ。グロックは11位でフィニッシュしたが、トヨタとウィリアムズの失格に伴い、最終結果では7位に昇格している。シーズン最後の3レースにもドライバーとして起用されたが、結果は芳しくなかった。
2005年はF1でのシートを得られず、チャンプカー・シリーズ参戦のために渡米。8位でシーズンを終え、その年のルーキー・オブ・ザ・イヤー(最優秀新人賞)を獲得した。シーズン終盤にはヨーロッパに戻り、BCNチームでGP2に参戦。性能が良くないマシンにもかかわらず、懸命に戦った。シーズン中盤にチャンスが訪れ、トップのチームであるiSportに入り本領を発揮、4位でシーズンを終えている。同チームに残留した2007年は、BMWザウバーのテストドライバーも務めながら、GP2のタイトルを獲得した。
2008年のシーズンに向けて、グロックは引く手あまただったが、最終的に選んだのはトヨタ。好調なシーズンを過ごしたグロックのベストリザルトはハンガリーGPでやって来る。激しい戦いの末にキミ・ライコネンをねじ伏せ、2位でフィニッシュしたのだ。とはいえ、グロックの2008年は最終戦ブラジルGPの印象が強いだろう。ルイス・ハミルトンとフェリペ・マッサによる同年のタイトル争いは最終戦にもつれ込み、マッサがトップチェッカーを受ける一方で、ハミルトンはチャンピオンシップ制覇の条件に届かない6番手を走行。しかし、ハミルトンのアタックにグロックが攻勢できず、ファイナルラップで順位が逆転し、ハミルトンが必要だった最後のポイントを挙げて年間王者に輝いたのだった。
さまざまなことが起こった2009年は日本GP予選で大クラッシュを喫し、その時の負傷が原因でシーズン最後をコックピットの外で過ごした。当初、ケガは足の傷だけだと言われていたが、さらなる調査の結果、脊椎の損傷が判明してドクターストップがかかったのだ。
2009年末、トヨタがモータースポーツから撤退することを発表すると、グロックの先行きは暗く思えた。ルノーのセカンドシートを獲得する可能性はあったが、11月17日に新チームのマノー・グランプリ(現ヴァージン・レーシング)がグロックをリードドライバーとして迎えることを発表した。
新規チームから挑んだ2010年は完ぺきとは程遠く、まず直面したのが燃料タンクの問題。レース距離を走り切るだけの容量がなかったのだ。参戦2年目の2011年はパフォーマンス改善が期待されたものの、厳しい状況に劇的な変化は見られなかった。
2012年に名称をマルシャと改めたチームには改善の兆しが見られた。しかし、このチームに移って3年、グロックはさらなる契約が残っていたにもかかわらず2013年シーズン開幕を前にチーム離脱に合意。チームはグロック放出の要因の一つに"厳しい経済情勢"を挙げている。
【長所と短所】
グロックは十分な経験と自信を兼ね備えたドライバーではあるが、その卓越した実績の割に勝ち星は決して多くない。2010年はヴァージンで新しいマシンを開発するという楽しみを享受できるが、彼が切望している表彰台に上るのは難しいかもしれない。
【キャリア最高の瞬間】
2007年に栄誉あるGP2のタイトルを獲得したこと。
【キャリア最低の瞬間】
日本GP予選で大クラッシュを喫して負傷し、シーズン残り3戦を欠場したこと。
【注目のコメント】
「サーキットが変わったからといって、モチベーションは特に変わらないよ。つまり、チームに優れた結果を残せるよう、いつでも力を出し切りベストを尽くすだけだ。どのレースも大事。だから、もし、自分の力を100%出し切っていないなら、自分のなすべきことをきちんとやっていないということなんだ」
◆ マーティン・ブランドル
「ティモ・グロックにとって初シーズンだった2008年は彼のことを過小評価していた。彼は立派なF1ドライバーに成長したよ。プレッシャーに強く、期待に十分応えられるということを証明したんだ。グロックは、ここぞというときのゲームは落とさない。自信もついたし、マシンのセットアップもうまい」
【トリビア】
レースに向けてグロックが愛聴するのはGuns N' Roses(ガンズ・アンド・ローゼズ)である。
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グロック、「F1はつまらなくなった」 (2015年4月30日)
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いまだグロックにも未払金を抱えるマルシャ (2014年12月31日)
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マッサがロズベルグの頼みの綱とグロック (2014年11月20日)
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ロズベルグのサポートはしないとマッサ (2014年11月11日)
- リカルドの事故にグロックを思い出したベッテル (2014年10月3日)
2013年1月24日 ![]() DTMマシンのテスト前にインタビューを受けるグロック © BMW |
2013年1月24日 ![]() BMWのDTMマシンでテストするグロック © BMW |
2012年11月25日 ![]() ホイール・トゥ・ホイールで走るペトロフとグロック © Sutton Images |
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