マーク・ウェバー  オーストラリア

driver portrait
F1キャリア / 戦績
Year Car Race Start Won Pod Class Best Pole Front Best Lap Hat Pts Pos
2002 Minardi 17 16 0 0 10 5 0 0 18 0 0 2 16
2003 Jaguar 16 16 0 0 11 6 0 0 3 0 0 17 10
2004 Jaguar 18 18 0 0 10 6 0 1 2 0 0 7 13
2005 Williams 19 18 0 1 13 3 0 1 2 0 0 36 10
2006 Williams 18 18 0 0 7 6 0 1 2 0 0 7 14
2007 Red Bull 17 17 0 1 10 3 0 0 5 0 0 10 12
2008 Red Bull 18 18 0 0 15 4 0 1 2 0 0 21 11
2009 Red Bull 17 17 2 8 15 1 1 2 1 3 0 69.5 4
2010 Red Bull 19 19 4 10 17 1 5 13 1 3 0 242 3
2011 Red Bull 19 19 1 10 18 1 3 8 1 7 0 258 3
2012 Red Bull 20 20 2 4 18 1 2 6 1 1 0 179 6
2013 Red Bull 19 19 0 8 16 2 2 5 1 5 0 199 3
Total 217 215 9 42 160 1 13 38 1 19 0 1047.5
グランプリ サーキット 開催日
デビュー戦 オーストラリアGP アルバート・パーク 2002年3月3日 レース結果
ラストレース ブラジルGP インテルラゴス 2013年11月24日 レース結果
プロフィール
© Sutton Images

2010年のドライバーズ選手権での活躍ぶりを見ると、マーク・ウェバーが今日までたどってきた厳しい道程を忘れてしまいがちだ。

キャリア初期は資金繰りに苦悩し、カートで名を馳せた後はオーストラリアのフォーミュラ・フォードに挑戦。1996年にイギリスに渡り、イギリス周辺のドライビングスクールで働き、1日43ポンドを得ながら夢を追いかける生活を始めた。ボロボロのフォード・フィエスタで転戦しながらコースを学び、その年の終わりにはフォーミュラ・フォード・フェスティバルを制すまでに成長する。

1997年はイギリスF3に参戦するも、マシンを走らせるに十分な資金を得られないままシーズンに臨み、家族と友人からもらった5万ポンドを手にコースを走り続けた。オーストラリアGPでノルベルト・ハウグと出会ったことでメルセデスのスポーツカー、CLK GTRをテストするチャンスを獲得。結果、印象的なパフォーマンスを披露してメルセデスとの契約にこぎつけている。

FIA GT選手権を戦った1998年、コドライバーのベルント・シュナイダーと共にドライビングの腕を磨いたウェバー。翌1999年にはメルセデスからル・マンに出走したが、マシンが空力に致命的な欠陥を抱えていたこともあり、二度も宙を舞う事故に遭遇してしまう。ウェバーは「その時思い知ったよ。シングルシーターに戻らなきゃって」と明かしている。2度目の事故以来、ウェバーがメルセデスのレースカーをドライブすることは二度となかった。

翌年はF3000にエントリーし、ルノーF1チームで初めてのテストにも参加した。2001年にF1のサポートレースとして行われたモナコの一戦で勝利したことがフラビオ・ブリアトーレを納得させ、突然にしてF1が現実的な可能性となって現れる。

ウェバーに2002年のF1デビューのチャンスを与えたのはポール・ストッダートだった。その期待に応えるようにウェバーがストッダートを失望させることはなく、非常に限られたテスト走行にもかかわらず、母国オーストラリアのデビュー戦で5位入賞を果たしてみせる。同年はこれが唯一のポイントフィニッシュだったものの、これによりジャガーでのテスト、そして2003年のレースシート獲得につながった。

予選での速さは目を見張るものがあったが不運のドライバーとしても知られ、2005年はルノーとウィリアムズの両チームからドライブのオファーを受ける。直近では後者の方が優れた成績を収めていたとはいえ、ルノーもまたグリッド上で有望なチームとして考えられていた(事実、2005年と2006年にチャンピオンシップを制覇している)。結局、ウェバーは若手有望株だったフェルナンド・アロンソがチームメイトになることを望まず、ブリアトーレの希望に反してウィリアムズを選んだ。

後にこの判断が誤りだったと証明される。ウェバーはウィリアムズで苦戦し、同年の選手権を10位で終えた。2006年になると事態はさらに悪化。マシンの信頼性が乏しく、ほとんどのサーキットでエンジンをターンダウンさせて走らなければならなかったのである。モナコでは優秀な成績(ことによれば優勝さえ可能だった)を収められそうだったが、マシンがそれを阻んでしまった。同年末までにチーム離脱の道を探り、ジャガーチームへの移籍を決断している。このジャガーが、デザイナーとしてエイドリアン・ニューイを擁する今のレッドブル・レーシングである。

2009年はニュルブルクリンクとインテルラゴスで2勝を挙げる活躍ぶり。しかし、シーズン開幕前に骨折した脚の回復途中とあって全力投球はかなわなかった。セバスチャン・ベッテルをパートナーに迎えて初めての年は予選でもポイント数でも若きドイツ人ドライバーを下回っている。

2010年はベッテルに負けず劣らずの走りを披露するも、ベッテルの方がチームから優遇されているとウェバーが感じたことで両者の関係は悪化した。トルコでは同士討ちの失態を演じ、レッドブルが新しいフロントウイングをベッテルに与えたイギリスGPではウェバーが激怒。2人の競り合いは最終戦まで続き、残り1戦の時点でタイトルはウェバーの方が有利だと思われていたものの、タイヤ戦略に失敗した結果、相棒でありライバルであるベッテルの優勝とチャンピオンシップ制覇を見守るしかなかった。

レッドブルと再び1年契約を結び、ベッテルと公正な競争をした上で打ち負かすことを目指して2011年シーズンに挑んだウェバーだったが、チームメイトがシーズンを支配する一方で新しいピレリタイヤに苦戦を強いられる。シーズン初勝利をつかんだのは最終戦ブラジルGPでのことだった。チームとさらにもう1年の契約を更新した2012年は序盤にベッテルをしのぐペースを見せるも、シーズンを通してその調子を維持することはかなわず、ベッテルの102ポイント後方に終わっている。

トロ・ロッソでダニエル・リカルドとジャン-エリック・ベルヌがウェバーのシートを狙っているため、2014年については脅威にさらされているかもしれないが、ウェバーは2013年もレッドブルで戦いを続ける。

【長所と短所】

精神的にはパドックの中でも一番の強さを誇り、F1に対する真っ正直な姿勢は多くのファンの心をつかむ。しかしながら、まだ判断ミスを犯す傾向があり、ここ2年はセバスチャン・ベッテルのペースに匹敵することに苦戦している。

【キャリア最高の瞬間】

F1通算130戦を経験し、実に7年もの歳月を経て、2009年ドイツGPでついに悲願の初勝利を達成したこと。

【キャリア最低の瞬間】

1997年にイギリスF3に参戦した際、マシンを購入する資金はあったものの、それを走らせる資金が不足していたこと。

【注目のコメント】

マーク・ウェバー

(2009年7月、F1初優勝を達成したドイツGPにて)

「素晴らしい1日だ。シルバーストーンでは勝つチャンスがあると思っていたけどそれがかなわず、今度こそは勝ちたいと思っていたんだ。予選でポールポジションを獲得したわけだから、今日のレースで勝つためにいいポジションにつけていることは知っていた。今日の僕を助けてくれたすべての人々にとっても最高の1日となるね」

ポール・ストッダート(ミナルディ代表)

「寝る時も息をする時も食事をする時も、生活の中でF1を110%考えるドライバーは、ミハエル・シューマッハとマーク・ウェバーぐらいだろう」

【トリビア】

2006年、ウェバーはオーストラリア・ラグビー・リーグに所属するキャンベラ・レイダースのナンバーワンチケットホルダーとなった。ちなみにウェバーは1980年代後半、レイダースのボールボーイを務めた経験がある。

ノート

このページのトップへ上へ

最新ニュース

このページのトップへ上へ

最新画像

2013年12月10日

初テストを終えてエンジニアと会話をかわすウェバー

2013年12月10日

ポルシェのLMP1マシンで初テストに臨むウェバー

2013年12月10日

ポルシェのLMP1マシンをドライブするウェバー

     

関連画像リスト

このページのトップへ上へ