フェリペ・マッサ ブラジル
- 氏名 フェリペ・マッサ
- 生年月日 1981年4月25日
- 出身地 ブラジル・サンパウロ
- 年齢 38歳264日
- 身長 1.66 m
- 体重 59 kg
- チーム アルファロメオ・レーシング, ウィリアムズ, フェラーリ
| Year | Car | Race | Start | Won | Pod | Class | Best | Pole | Front | Best | Lap | Hat | Pts | Pos | ||||
|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
| 2002 | Alfa Romeo | 16 | 16 | 0 | 0 | 8 | 5 | 0 | 0 | 7 | 0 | 0 | 4 | 13 | ||||
| 2004 | Alfa Romeo | 18 | 18 | 0 | 0 | 14 | 4 | 0 | 0 | 4 | 0 | 0 | 12 | 12 | ||||
| 2005 | Alfa Romeo | 19 | 18 | 0 | 0 | 16 | 4 | 0 | 0 | 7 | 0 | 0 | 11 | 13 | ||||
| 2006 | Ferrari | 18 | 18 | 2 | 7 | 16 | 1 | 3 | 7 | 1 | 2 | 0 | 80 | 3 | ||||
| 2007 | Ferrari | 17 | 17 | 3 | 10 | 15 | 1 | 6 | 7 | 1 | 6 | 2 | 94 | 4 | ||||
| 2008 | Ferrari | 18 | 18 | 6 | 10 | 16 | 1 | 6 | 10 | 1 | 3 | 2 | 97 | 2 | ||||
| 2009 | Ferrari | 10 | 9 | 0 | 1 | 7 | 3 | 0 | 0 | 4 | 1 | 0 | 22 | 11 | ||||
| 2010 | Ferrari | 19 | 19 | 0 | 5 | 18 | 2 | 0 | 1 | 2 | 0 | 0 | 144 | 6 | ||||
| 2011 | Ferrari | 19 | 19 | 0 | 0 | 16 | 5 | 0 | 0 | 3 | 1 | 0 | 118 | 6 | ||||
| 2012 | Ferrari | 20 | 20 | 0 | 2 | 19 | 2 | 0 | 0 | 3 | 0 | 0 | 122 | 7 | ||||
| 2013 | Ferrari | 19 | 19 | 0 | 1 | 17 | 3 | 0 | 1 | 2 | 0 | 0 | 112 | 8 | ||||
| 2014 | Williams | 19 | 19 | 0 | 3 | 16 | 2 | 1 | 1 | 1 | 1 | 0 | 134 | 7 | ||||
| 2015 | Williams | 19 | 19 | 0 | 2 | 16 | 3 | 0 | 0 | 3 | 0 | 0 | 121 | 6 | ||||
| 2016 | Williams | 21 | 21 | 0 | 0 | 17 | 5 | 0 | 0 | 4 | 0 | 0 | 53 | 11 | ||||
| 2017 | Williams | 19 | 19 | 0 | 0 | 17 | 6 | 0 | 0 | 6 | 0 | 0 | 43 | 11 | ||||
| Total | 271 | 269 | 11 | 41 | 228 | 1 | 16 | 27 | 1 | 14 | 4 | 1167 |
| グランプリ | サーキット | 開催日 | ||
|---|---|---|---|---|
| デビュー戦 | オーストラリアGP | アルバート・パーク | 2002年3月3日 | レース結果 |
| ラストレース | アブダビGP | ヤス・マリーナ | 2017年11月26日 | レース結果 |
長年に渡ってF1で戦い続けるフェリペ・マッサは、これまでにビッグネームをチームメイトに迎えながらも素晴らしい腕前やスキル、レースの組み立てを披露してきたが、走ることに対してはレースドライバーとしての情熱をすべて注ぎ込むタイプのドライバーと言えよう。
カートで8年間を過ごしたマッサは1998年にブラジルのフォーミュラ・シボレー選手権にステップアップし、1999年にタイトルを獲得。2000年にはヨーロッパに渡ってイタリア・フォーミュラ・ルノーとユーロカップ・シリーズを制覇した。2001年はユーロF3000選手権に参戦し、この3年間で実に4つものタイトルを奪取。この成果をひっさげてザウバー・ペトロナスのテストドライブにこぎつけ、2002年シーズンにF1デビューを飾っている。
デビューシーズンでレースペースの速さを見せたマッサだったが、2003年はフェラーリのリザーブドライバーに就任する道を選択。しかし2004年、ザウバーとの関係を強めたフェラーリの意向もあってザウバーのレースシートを再びつかむ。この頃、ニコラス・トッド(当時のフェラーリ代表であるジャン・トッドの息子)のマネジメントを受けはじめたマッサは入賞圏内をキープ。2005年にはチームメイトにジャック・ビルヌーブという元王者を迎えるも、期待以上の成績を残してビルヌーブを上回る走りを見せた。
ルーベンス・バリチェロがHonda Racing F1に移籍し、2006年からフェラーリのレースドライバーに就任したマッサ。チームメイトだった7冠王者のミハエル・シューマッハと比べても遜色ない走りを見せつつ、時には上回る結果を残している。ナンバー2としての立場だったマッサだが、トルコGPではポールポジションを獲得してそのままF1初優勝。母国で行われた最終戦ブラジルGPでも勝利をマークし、ドライバーズ選手権3位でシーズンを終えた。
2007年はマクラーレンから移籍してきたキミ・ライコネンをチームメイトに迎えたマッサは序盤4戦で2勝を挙げ、上々のスタート。シーズン終盤まで競争力を発揮したものの、その後は1勝にとどまり、最後までタイトル争いに絡むことはできなかった。
2008年はワールドチャンピオン獲得を目標とするも、シーズン序盤はマッサ自身にもチームにもミスが多発。それでもシーズン最多となる6勝を挙げたマッサだが、最終戦で5位に入ったルイス・ハミルトン(マクラーレン)に1ポイント及ばず、ランキング2位でシーズンを締めくくっている。
リベンジを果たすべく挑んだ2009年は、残念ながらフェラーリの競争力が低下。根本的にマシンパッケージが競争力を欠いていたのだが、マッサにとってはさらに大きな不運が待ち構えていた。ハンガリーGP予選を走行中、前を走っていたバリチェロ(ブラウンGP)のマシンから重さ800gのスプリングが外れ、それがマッサの顔面を直撃。顔面骨折や裂傷など大ケガを負ったものの、当たった場所がわずかに違っただけでマッサのレースキャリアが終わっていたかもしれないことを考えれば、不幸中の幸いと言えるだろう。
それから3年間は新チームメイトであるフェルナンド・アロンソに圧倒され、ハンガリーでのアクシデントがマッサのパフォーマンスに影を落としたとささやかれてきた。2012年の序盤まで、マッサはタイトル争いに絡むアロンソの傍らでなかなかポイントが取れず自信を喪失する。しかし、この年の終わりには改善を見せて時にはアロンソを凌ぐリザルトを残した。2013年には他のドライバーと交代になるとのプレッシャーがかかっていたにもかかわらず、フェラーリはマッサの続投を決め、8年目の契約を結ぶ。しかしながら、前年の勢いを再現できなかったマッサは再びアロンソのかたわらで苦戦を強いられる。フェラーリの忍耐はついに尽き、マッサは2014年に跳ね馬にとどまらないことを自ら明らかにした。
シート喪失の状態は長く続かず、マッサはシーズンを終える前にウィリアムズとの契約をとりつけた。2014年のウィリアムズがメルセデス製の新V6ターボエンジンとともにグリッドの最前方へ駆け上がったことを考えると、この移籍はマッサにとって鮮やかな転身と言える。スロースタートではあったものの、オーストリアではポールポジションを獲得。表彰台に上ったのはそこからさらに数レース待ったイタリアGPだった。マッサは自身にとって特別な場所であるモンツァ、そしてティフォシの前でポディウムフィニッシュを祝っている。その一方、カナダGPで発生したセルジオ・ペレスとの接触を含め、何度かのインシデントに遭遇した結果、マッサの獲得ポイントは僚友バルテリ・ボッタスに届かなかった。
ウィリアムズで2年目を迎えた2015年のハイライトは、チームメイトから激しいプッシュを受けながらも3位を守り切った第12戦イタリアGPだろう。ベテランのマッサは若き相棒とのバトルを終え「すごくタフだったよ――あまり年寄りに無理させないでほしいな!」と笑った。一方、マッサの母国で開催された第18戦ブラジルGPでは入賞しながらもスタート前のタイヤ温度に違反があったとして失格に。チームはFIAの計測に問題があった可能性を指摘したが、かかる時間やコストに見合うものは得られないとして上訴しないことを決断している。この年の獲得ポイントもボッタスの方が上だったが、その差は前年度より縮まった。
翌年は明らかにウィリアムズの勢いが落ち、僚友ボッタスが夏までに何とか1度の表彰台フィニッシュを果たした一方、5位がベストリザルトのマッサの胸には一つの決意が固まっていく。それが明かされたのは第14戦イタリアGPが開幕する直前のことだった。かつて敬愛するミハエル・シューマッハが最初の引退を表明して自分にフェラーリのシートを託したモンツァで、マッサもまたシーズン末をもってF1キャリアに終止符を打つことを明かしたのだ。最後の母国レースである第20戦ブラジルGPはリタリアに終わったものの、マシンを降りてチームのガレージへ戻るマッサに観客席からもピットレーンの各チームからも大きな声援が送られた。レース後、マッサはファンやこれまで共に働いてきた人々に深い感謝を示し、「この日を決して忘れない」と語っている。
最終戦アブダビGPで250戦目を迎えたマッサは入賞を果たして11勝と41回の表彰台を記録した14年間のキャリアに幕を引いた――かのように思われたが、予想外の出来事によって引退を撤回することになる。チャンピオンに輝いて1週間もたたないうちに驚きのF1引退を表明したニコ・ロズベルグの後釜として、メルセデスがマッサの元同僚であるボッタスに目をつけたのだ。マッサの後任に新人のランス・ストロールを指名していたウィリアムズは、ボッタスが抜けた後もチームの継続性を確保するべく、ベテランのマッサに復帰をオファー。ウィリアムズに愛着を覚えていたマッサは、他ならぬ同チームの依頼とあってこれを受け入れた。
デビューからしばらく苦戦が続いたストロールにこまごまと助言したマッサは、その関係性をフェラーリ時代のシューマッハと自分に重ね合わせている。かつて自分がしてもらったことを後進に与えたマッサは、チームの希望次第でさらに現役を続行する意向を示していたものの、母国ブラジルが舞台のシーズン第19戦を前に2017年末をもって引退することがチームから発表された。引退発表後に行われたブラジルGPでは、勇敢な走りでアロンソから7位を守りきったマッサに息子フェリピーニョ君がチームの無線を通じて「ダディ、僕はダディのことをすごく誇りに思うし、どこへ行っても応援するからね」と声をかけており、父子の愛情あふれるメッセージが世界中のファンの胸を打った。マッサはシーズン第11戦ハンガリーGPの予選と決勝を体調不良で欠場しながらも、それ以外の19戦中13戦でポイントを獲得。ドライバーズランキング11位の結果だけでは表しきれないものをチームとファンに残してF1グリッドに別れを告げた。
【長所と短所】
大得意にしているサーキットが多くあり、競争力を発揮できるマシンを得た時は手がつけられない速さを見せることも多い。それでもルーキーかと疑うような単純なミスを犯すことがあり、それらが近年のワールドチャンピオン争いの妨げになってきた。
【キャリア最高の瞬間】
2008年は地元ブラジル・インテルラゴスで開催されたブラジルGPで勝利したものの、わずか1ポイント差でハミルトンに王座を奪われた。激しい失望を感じたに違いないが、ハミルトンを称えて紳士的な対応を見せたマッサに多くの人が感動したことだろう。
【キャリア最低の瞬間】
2010年ドイツGPで、友人であり長年レースエンジニアを務めているロブ・スメドリーからフェルナンド・アロンソに道を譲るよう指示されたこと。
【注目のコメント】
フェリペ・マッサ
「週末がいい感じでスタートした時は、同じ下着を土曜日も履くことにしているんだ。土曜日も良かったときは、日曜日も同じのを履くよ。ブラジルにいたときからの慣習さ」
デイモン・ヒル
「マッサは何度もコーナーのエイペックスをミスするのに、いいラップタイムを刻むことがある。この理由が分からない。チャンピオンシップ争いをしている時の彼はその戦いに残る決意を表現するが、これは本当に印象的だね」
【トリビア】
2007年5月、マッサの下着がオークションに出品され、775ドル(約6万9,000円/2009年11月現在)の値がついた。
マッサが初めてF1に接したのは、彼が7歳のころ。当時は地元サンパウロでピザの配達というアルバイトをしていたのだが、偶然にもブラジルGPのパドックから注文がきたのだ。しかしこれは都市伝説だったことが判明。サーキットにピザを配達したことは認めたものの、当時の年齢は17歳だったことが分かっている。
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2018年11月11日 ファンに手を振るバリチェロとマッサ © Charles Coates/Getty Images |
2018年11月10日 ポールポジション賞を受賞したハミルトンとプレゼンターを務めるマッサ © NELSON ALMEIDA / AFP |
2018年9月2日 イタリアGP2位のライコネンとインタビュアーを務めるマッサ © Dan Istitene/Getty Images |
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