フェリペ・マッサ
ブラジル
サーキットプロフィール | 最新ニュース | 最新画像
| Year | Car | Race | Start | Won | Pod | Class | Best | Pole | Front | Best | Lap | Hat | Pts | Pos | ||||
|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
| 2002 | Sauber | 16 | 16 | 0 | 0 | 8 | 5 | 0 | 0 | 7 | 0 | 0 | 4 | 13 | ||||
| 2004 | Sauber | 18 | 18 | 0 | 0 | 14 | 4 | 0 | 0 | 4 | 0 | 0 | 12 | 12 | ||||
| 2005 | Sauber | 19 | 18 | 0 | 0 | 16 | 4 | 0 | 0 | 7 | 0 | 0 | 11 | 13 | ||||
| 2006 | Ferrari | 18 | 18 | 2 | 7 | 16 | 1 | 3 | 7 | 1 | 2 | 0 | 80 | 3 | ||||
| 2007 | Ferrari | 17 | 17 | 3 | 10 | 15 | 1 | 6 | 7 | 1 | 6 | 2 | 94 | 4 | ||||
| 2008 | Ferrari | 18 | 18 | 6 | 10 | 16 | 1 | 6 | 10 | 1 | 3 | 2 | 97 | 2 | ||||
| 2009 | Ferrari | 10 | 9 | 0 | 1 | 7 | 3 | 0 | 0 | 4 | 1 | 0 | 22 | 11 | ||||
| 2010 | Ferrari | 12 | 12 | 0 | 3 | 12 | 2 | 0 | 1 | 2 | 0 | 0 | 97 | 6* | ||||
| Total | 128 | 126 | 11 | 31 | 104 | 1 | 15 | 25 | 1 | 12 | 4 | 417 |
| グランプリ | サーキット | 開催日 | ||
|---|---|---|---|---|
| デビュー戦 | オーストラリアGP | アルバート・パーク | 2002年3月3日 | レース結果 |
| ラストレース | ハンガリーGP | ハンガロリンク | 2010年8月1日 | レース結果 |
すでに何年もF1で戦い続けているフェリペ・マッサは、これまでにビッグネームをチームメイトに迎えながらも素晴らしい腕前やスキル、レースの組み立てを披露してきたが、走ることに対してはレースドライバーとしての情熱をすべて注ぎ込むタイプのドライバーと言えよう。世界中で最も高名なチームに所属しているマッサは次々と勝利を重ね、将来のワールドチャンピオン候補だ。2010年シーズンはケガを負った2009年ハンガリーGP以来の実戦復帰となる。
カートで8年間を過ごしたマッサは1998年にブラジルのフォーミュラ・シボレー選手権にステップアップし、1999年にタイトルを獲得。2000年にはヨーロッパに渡ってイタリア・フォーミュラ・ルノーとユーロカップ・シリーズを制覇した。2001年はユーロF3000選手権に参戦し、この3年間で実に4つものタイトルを奪取。この成果をひっさげてザウバー・ペトロナスのテストドライブにこぎつけ、2002年シーズンにF1デビューを飾っている。
デビューシーズンでレースペースの速さを見せたマッサだったが、2003年はフェラーリのリザーブドライバーに就任する道を選択。しかし2004年、ザウバーとの関係を強めたフェラーリの意向もあってザウバーのレースシートを再びつかむ。この頃、ニコラス・トッド(当時のフェラーリ代表であるジャン・トッドの息子)のマネジメントを受けはじめたマッサは入賞圏内をキープ。2005年にはチームメイトにジャック・ビルヌーブという元王者を迎えるも、期待以上の成績を残してビルヌーブを上回る走りを見せた。
ルーベンス・バリチェロがHonda Racing F1に移籍し、2006年からフェラーリのレースドライバーに就任したマッサ。チームメイトだった7冠王者のミハエル・シューマッハと比べても遜色ない走りを見せつつ、時には上回る結果を残している。ナンバー2としての立場だったマッサだが、トルコGPではポールポジションを獲得してそのままF1初優勝。母国で行われた最終戦ブラジルGPでも勝利をマークし、ドライバーズ選手権3位でシーズンを終えた。
2007年はマクラーレンから移籍してきたキミ・ライコネンをチームメイトに迎えたマッサは序盤4戦で2勝を挙げ、上々のスタート。シーズン終盤まで競争力を発揮したものの、その後は1勝にとどまり、最後までタイトル争いに絡むことはできなかった。
2008年はワールドチャンピオン獲得を目標とするも、シーズン序盤はマッサ自身にもチームにもミスが多発。それでもシーズン最多となる6勝を挙げたマッサだが、最終戦で5位に入ったルイス・ハミルトン(マクラーレン)に1ポイント及ばず、ランキング2位でシーズンを締めくくっている。
リベンジを果たすべく挑んだ2009年は、残念ながらフェラーリの競争力が低下。根本的にマシンパッケージが競争力を欠いていたのだが、マッサにとってはさらに大きな不運が待ち構えていた。ハンガリーGP予選を走行中、前を走っていたバリチェロ(ブラウンGP)のマシンから重さ800gのスプリングが外れ、それがマッサの顔面を直撃。顔面骨折や裂傷など大ケガを負ったものの、当たった場所がわずかに違っただけでマッサのレースキャリアが終わっていたかもしれないことを考えれば、不幸中の幸いと言えるだろう。
同じ世代のドライバーの中では間違いなくトップクラスの実力を持つマッサ。2010年こそはワールドチャンピオンという最大の目標をかなえるシーズンになる。
【長所と短所】
大得意にしているサーキットが多くあり、競争力を発揮できるマシンを得た時は手がつけられない速さを見せることも多い。それでもルーキーかと疑うような単純なミスを犯すことがあり、それらが近年のワールドチャンピオン争いの妨げになってきた。
【キャリア最高の瞬間】
2008年は地元ブラジル・インテルラゴスで開催されたブラジルGPで勝利したものの、わずか1ポイント差でハミルトンに王座を奪われた。激しい失望を感じたに違いないが、ハミルトンを称えて紳士的な対応を見せたマッサに多くの人が感動したことだろう。
【キャリア最低の瞬間】
ハンガリーGP予選中にスプリングが顔面を直撃したマッサは幸運や、その後の処置に救われて一命を取り留める。何度も手術を受けたものの、シーズン終盤にはグランプリを訪問するまでとなり、2010年のシートも確保。逆襲のチャンスを手にして新シーズンに挑む。
【注目のコメント】
フェリペ・マッサ
「週末がいい感じでスタートした時は、同じ下着を土曜日も履くことにしているんだ。土曜日も良かったときは、日曜日も同じのを履くよ。ブラジルにいたときからの慣習さ」
デイモン・ヒル
「マッサは何度もコーナーのエイペックスをミスするのに、いいラップタイムを刻むことがある。この理由が分からない。チャンピオンシップ争いをしている時の彼はその戦いに残る決意を表現するが、これは本当に印象的だね」
【トリビア】
2007年5月、マッサの下着がオークションに出品され、775ドル(約6万9,000円/2009年11月現在)の値がついた。
マッサが初めてF1に接したのは、彼が7歳のころ。当時は地元サンパウロでピザの配達というアルバイトをしていたのだが、偶然にもブラジルGPのパドックから注文がきたのだ。しかしこれは都市伝説だったことが判明。サーキットにピザを配達したことは認めたものの、当時の年齢は17歳だったことがわかっている。
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- 2010年第13戦ドライバーコメント予選 (2010年8月29日)
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2010年8月29日 ウエットコンディションの中ゴールを目指すマッサ © Getty Images |
2010年8月29日 必死にプッシュするマッサ © Getty Images |
2010年8月28日 マッサをリードするアロンソ © Getty Images |
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