フェルナンド・アロンソ  スペイン

driver portrait
2014年の世界選手権
# Grand Prix Circuit Date Car Pos Pts Qual FL
1 オーストラリア アルバート・パーク 3月16日 フェラーリ (T) 4 12 5
2 マレーシア セパン 3月30日 フェラーリ (T) 4 12 4
3 バーレーン サヒール 4月6日 フェラーリ (T) 9 2 9
4 中国 上海 4月20日 フェラーリ (T) - 5
F1キャリア / 戦績
Year Car Race Start Won Pod Class Best Pole Front Best Lap Hat Pts Pos
2001 Minardi 17 16 0 0 9 10 0 0 17 0 0 0 -
2003 Renault 16 16 1 4 11 1 2 2 1 1 0 55 6
2004 Renault 18 18 0 4 13 2 1 1 1 0 0 59 4
2005 Renault 19 18 7 15 17 1 6 9 1 2 0 133 1
2006 Renault 18 18 7 14 16 1 6 6 1 5 1 134 1
2007 McLaren 17 17 4 12 16 1 2 9 1 3 2 109 3
2008 Renault 18 18 2 3 15 1 0 1 2 0 0 61 5
2009 Renault 17 17 0 1 14 3 1 2 1 2 0 26 9
2010 Ferrari 19 19 5 10 18 1 2 3 1 5 2 252 2
2011 Ferrari 19 19 1 10 18 1 0 1 2 1 0 257 4
2012 Ferrari 20 20 3 13 18 1 2 3 1 0 0 278 2
2013 Ferrari 19 19 2 9 18 1 0 0 3 2 0 242 2
2014 Ferrari 3 3 0 0 3 4 0 0 4 0 0 26 4*
Total 220 218 32 95 186 1 22 37 1 21 5 1632
グランプリ サーキット 開催日
デビュー戦 オーストラリアGP アルバート・パーク 2001年3月4日 レース結果
ラストレース バーレーンGP サヒール 2014年4月6日 レース結果
プロフィール
© Sutton Images

F1の中でも最も優れたオールラウンダーとして知られる2度のワールドチャンピオン、フェルナンド・アロンソは2010年にフェラーリ入りを果たす。移籍初年度でのタイトル獲得は最終戦のミスで逃したものの、長所を生かして開幕戦で移籍後初勝利を収めている。2011年は間違いなく優勝候補筆頭だ。

カート時代に多くの成功を収め、ワールドチャンピオンにも輝いたアロンソは1999年、ユーロ・オープン・モビスターbyニッサン(現在のワールド・シリーズbyルノー)に参戦してタイトルを奪取。翌年にはF3000にステップアップしている。また、この頃からF1チームらはスペインの若き才能に注目し、アロンソはミナルディでテストチャンスを得た。

ミナルディからレースデビューを果たした2001年、経験に勝るチームメイトを上回る結果を残すなどして輝きを放つ。次のシーズンはルノーのテストドライバーを務め、さまざまなスキルや経験を培っている。

ルノーのレースシートを失ったジェンソン・バトンの後任として、アロンソは2003年にルノーから再デビュー。序盤から速さを発揮し、マレーシアGPでは初めてのポールポジションを獲得、さらにハンガリーGPでF1初勝利を刻んだ。2004年は勝てなかったものの、2005年になるとキミ・ライコネン(当時マクラーレン)と競ってタイトル争いを演じ、見事に史上最年少ワールドチャンピオン(当時)に輝く。2006年は序盤9戦で6勝を挙げ、後半に復活したミハエル・シューマッハ(フェラーリ)を抑えきって2年連続でドライバーズ選手権を制する栄冠を手にした。

2007年には栄光のカーナンバー1を手に名門マクラーレンへ移籍。序盤から結果を残したものの、次第にチームメイトのルイス・ハミルトンが頭角を現し、関係性が微妙になる。ハンガリーGPでは予選Q3でマクラーレンのお家騒動が発生し、この年限りでのチーム離脱が決定的に。結局、タイトル獲得を果たすことなくランキング3位で終えたアロンソはそのシーズンオフ、翌年からのルノー復帰を決めた。

ナンバー1待遇でルノーに再び迎えられたアロンソだが、2008年は終盤戦に2勝を挙げるにとどまる。そのうちの1勝は、後に"クラッシュゲート"として明るみに出ることになるシンガポールGPで手にしたものだ。2008年の終盤戦で好調だったことから2009年シーズンの活躍が期待されたが、マシンを含めたパッケージに競争力がなく、苦しい戦いを強いられた。シーズン途中からフェラーリとの契約がうわさされ、同年日本GPの直前にフェラーリと正式契約を結んだことを発表、ついに跳ね馬のレースシートを手にすることになった。

2010年に惜しくもタイトルを逃し、翌年はより良いシーズンを願っていたアロンソだが、タイトルはスピードに加えて一貫性を手に入れたセバスチャン・ベッテルとレッドブルの手に。アロンソにとってはシルバーストーンが唯一の勝利となるも、チームメイトの最高位が5位であるのに対してイギリスGP以外に9回の表彰台を達成したところにマシン以上の力を発揮する能力が現れており、レースへの態度をよく示している。

2012年シーズン開幕当初は事態がさらに悪くなったように見えていたが、競争力のないマシンで善戦したアロンソは夏休みまでにチャンピオンシップリーダーとなる。しかしながら、後半戦に入ってオープニングラップでの衝突によるリタイアを2回喫したためにベッテルのリードを許した状態でブラジルでのファイナルラウンドを迎え、最終的には3ポイント差でタイトルには届かなかった。だが、その果敢な戦いには3連続王者となった新チャンピオンよりも多くの称賛の声が寄せられている。

アロンソのパフォーマンスに見合うマシンを生み出そうと気張るフェラーリの努力によって2013年は期待の持てるシーズンスタートとなり、開幕戦オーストラリアGPでは2位に入る。さらに第5戦までに2勝を挙げたものの、その後はミスが増えて厳しいシーズンとなっていった。最も顕著だったのはマレーシアGPのスタート直後にベッテルとクラッシュしてフロントウイングを破損したにもかかわらず、ピットに戻ることができず2周目に入ったところでフロントウイングが脱落、リタイアを喫したことだ。

不調に陥るにつれアロンソとチームの間には緊張関係が高まり、アロンソのチーム批判はフェラーリ社長のルカ・ディ・モンテゼモーロによって一蹴された。2014年はキミ・ライコネンをチームメイトに迎え、もしマシンが再びアロンソの期待に沿うようなものでなければ波乱含みのシーズンになりそうだ。

【長所と短所】

とにかく安定感が抜群なアロンソはポジションキープのために激しいバトルを見せつつ、いいポジションでレースを終えることが多い。それでも、ナンバー1待遇を与えられたときにその真価を発揮するため、2007年のマクラーレンのように競争力のあるチームメイトを抱えたときは困難な戦いを強いられることもある。

【キャリア最高の瞬間】

2005年ブラジルGPで予選16番手だったアロンソはレースで3位まで立て直し、初めてF1世界タイトルを手にする。これは、前年まで5連覇していたミハエル・シューマッハ時代にピリオドを打つものとなった。

【キャリア最低の瞬間】

やはり、マクラーレン時代が最も難しい時期だったと言えよう。チームメイトのハミルトンやチーム首脳との確執が表面化したのが2007年ハンガリーGPだった。予選Q3で残り時間がわずかとなった際、先にピットでタイヤ交換を行ったアロンソは後ろでハミルトンが待っていることを知りながらも、発進せず。これにより、ハミルトンがタイヤ交換を行ってピットアウトラップを終えたときには、すでにチェッカーフラッグが振られていた。この予選ではアロンソがポールポジションをゲットしたものの、セッション後、FIAがアロンソに対してペナルティを科している。

【注目のコメント】

フェルナンド・アロンソ

「僕は最速のドライバーじゃないかもしれない。最高のテクニックを持っているわけでもないだろう。だけど、安定感があるんだ」

ニキ・ラウダ

「愚痴をこぼしたり不平を言うのではなく、とにかく速く走ることに集中することこそ、今のアロンソがやっていることさ」

マーティン・ブランドル

「マシンに乗ったアロンソに弱点を見いだすことはほとんどない。さまざまな種類のカードを持っているのだ。私の考えでは、現時点で最も競争力のあるF1ドライバーだろう。これからの彼は再びプッシュすることができるだろうし、手にしたワールドタイトルの数を増やすだろうことは疑いようもない」

【トリビア】

アロンソは閉所恐怖症であり、リフトに閉じ込められることを恐れている。

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2014年4月19日

ピットストレートを走り抜けるアロンソ

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上海を疾走するアロンソ

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金曜フリー走行1回目でトップに立ったアロンソ

     

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