フェルナンド・アロンソ
スペイン
- 氏名 フェルナンド・アロンソ・ディアス
- 生年月日 1981年7月29日
- 出身地 スペイン・オビエド
- 年齢 28歳227日
- 身長 1.71 m
- 体重 68 kg
- 現所属チーム フェラーリ
- 過去の在籍チーム マクラーレン, ミナルディ, ルノー
サーキットプロフィール | 最新ニュース | 最新画像
| Year | Car | Race | Start | Won | Pod | Class | Best | Pole | Front | Best | Lap | Hat | Pts | Pos | ||||
|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
| 2001 | Minardi | 17 | 16 | 0 | 0 | 9 | 10 | 0 | 0 | 17 | 0 | 0 | 0 | - | ||||
| 2003 | Renault | 16 | 16 | 1 | 4 | 11 | 1 | 2 | 2 | 1 | 1 | 0 | 55 | 6 | ||||
| 2004 | Renault | 18 | 18 | 0 | 4 | 13 | 2 | 1 | 1 | 1 | 0 | 0 | 59 | 4 | ||||
| 2005 | Renault | 19 | 18 | 7 | 15 | 17 | 1 | 6 | 9 | 1 | 2 | 0 | 133 | 1 | ||||
| 2006 | Renault | 18 | 18 | 7 | 14 | 16 | 1 | 6 | 6 | 1 | 5 | 1 | 134 | 1 | ||||
| 2007 | McLaren | 17 | 17 | 4 | 12 | 16 | 1 | 2 | 9 | 1 | 3 | 2 | 109 | 3 | ||||
| 2008 | Renault | 18 | 18 | 2 | 3 | 15 | 1 | 0 | 1 | 2 | 0 | 0 | 61 | 5 | ||||
| 2009 | Renault | 17 | 17 | 0 | 1 | 14 | 3 | 1 | 2 | 1 | 2 | 0 | 26 | 9 | ||||
| Total | 140 | 138 | 21 | 53 | 111 | 1 | 18 | 30 | 1 | 13 | 3 | 577 |
| グランプリ | サーキット | 開催日 | ||
|---|---|---|---|---|
| デビュー戦 | オーストラリアGP | アルバート・パーク | 2001年3月4日 | レース結果 |
| ラストレース | アブダビGP | ヤス・マリーナ | 2009年11月1日 | レース結果 |
2008年に再加入したルノーでは落胆することが多かったフェルナンド・アロンソ。2010年には満を持してフェラーリ入りするが、目標となるのはやはり、3度目のワールドチャンピオンシップ制覇ということになる。
カート時代に多くの成功を収め、ワールドチャンピオンにも輝いたアロンソは1999年、ユーロ・オープン・モビスターbyニッサン(現在のワールド・シリーズbyルノー)に参戦してタイトルを奪取。翌年にはF3000にステップアップしている。また、この頃からF1チームらはスペインの若き才能に注目し、アロンソはミナルディでテストチャンスを得た。
ミナルディからレースデビューを果たした2001年、経験に勝るチームメイトを上回る結果を残すなどして輝きを放つ。次のシーズンはルノーのテストドライバーを務め、さまざまなスキルや経験を培っている。
ルノーのレースシートを失ったジェンソン・バトンの後任として、アロンソは2003年にルノーから再デビュー。序盤から速さを発揮し、マレーシアGPでは初めてのポールポジションを獲得、さらにハンガリーGPでF1初勝利を刻んだ。2004年は勝てなかったものの、2005年になるとキミ・ライコネン(当時マクラーレン)と競ってタイトル争いを演じ、見事に史上最年少ワールドチャンピオン(当時)に輝く。2006年は序盤9戦で6勝を挙げ、後半に復活したミハエル・シューマッハ(フェラーリ)を抑えきって2年連続でドライバーズ選手権を制する栄冠を手にした。
2007年には栄光のカーナンバー1を手に名門マクラーレンへ移籍。序盤から結果を残したものの、次第にチームメイトのルイス・ハミルトンが頭角を現し、関係性が微妙になる。ハンガリーGPでは予選Q3でマクラーレンのお家騒動が発生し、この年限りでのチーム離脱が決定的に。結局、タイトル獲得を果たすことなくランキング3位で終えたアロンソはそのシーズンオフ、翌年からのルノー復帰を決めた。
ナンバー1待遇でルノーに再び迎えられたアロンソだが、2008年は終盤戦に2勝を挙げるにとどまる。そのうちの1勝は、後に"クラッシュゲート"として明るみに出ることになるシンガポールGPで手にしたものだ。2008年の終盤戦で好調だったことから2009年シーズンの活躍が期待されたが、マシンを含めたパッケージに競争力がなく、苦しい戦いを強いられた。シーズン途中からフェラーリとの契約がうわさされ、同年日本GPの直前にフェラーリと正式契約を結んだことを発表、ついに跳ね馬のレースシートを手にすることになった。
【長所と短所】
とにかく安定感が抜群なアロンソはポジションキープのために激しいバトルを見せつつ、いいポジションでレースを終えることが多い。それでも、ナンバー1待遇を与えられたときにその真価を発揮するため、2007年のマクラーレンのように競争力のあるチームメイトを抱えたときは困難な戦いを強いられることもある。
【キャリア最高の瞬間】
2005年ブラジルGPで予選16番手だったアロンソはレースで3位まで立て直し、初めてF1世界タイトルを手にする。これは、前年まで5連覇していたミハエル・シューマッハ時代にピリオドを打つものとなった。
【キャリア最低の瞬間】
やはり、マクラーレン時代が最も難しい時期だったと言えよう。チームメイトのハミルトンやチーム首脳との確執が表面化したのが2007年ハンガリーGPだった。予選Q3で残り時間がわずかとなった際、先にピットでタイヤ交換を行ったアロンソは後ろでハミルトンが待っていることを知りながらも、発進せず。これにより、ハミルトンがタイヤ交換を行ってピットアウトラップを終えたときには、すでにチェッカーフラッグが振られていた。この予選ではアロンソがポールポジションをゲットしたものの、セッション後、FIAがアロンソに対してペナルティを科している。
【注目のコメント】
フェルナンド・アロンソ
「僕は最速のドライバーじゃないかもしれない。最高のテクニックを持っているわけでもないだろう。だけど、安定感があるんだ」
ニキ・ラウダ
「愚痴をこぼしたり不平を言うのではなく、とにかく速く走ることに集中することこそ、今のアロンソがやっていることさ」
マーティン・ブランドル
「マシンに乗ったアロンソに弱点を見いだすことはほとんどない。さまざまな種類のカードを持っているのだ。私の考えでは、現時点で最も競争力のあるF1ドライバーだろう。これからの彼は再びプッシュすることができるだろうし、手にしたワールドタイトルの数を増やすだろうことは疑いようもない」
【トリビア】
若者の時にマジックのセットを与えられたアロンソは、ドライビングと同じぐらい上達。今でもマシンに乗っていない時はマジックをたしなむことがあり、2、3のカードトリックをこなすことができる。
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