フェルナンド・アロンソ スペイン
- 氏名 フェルナンド・アロンソ・ディアス
- 生年月日 1981年7月29日
- 出身地 スペイン・オビエド
- 年齢 38歳169日
- 身長 1.71 m
- 体重 68 kg
- チーム フェラーリ, マクラーレン, ミナルディ, ルノー
| Year | Car | Race | Start | Won | Pod | Class | Best | Pole | Front | Best | Lap | Hat | Pts | Pos | ||||
|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
| 2001 | Minardi | 17 | 16 | 0 | 0 | 9 | 10 | 0 | 0 | 17 | 0 | 0 | 0 | - | ||||
| 2003 | Renault | 16 | 16 | 1 | 4 | 11 | 1 | 2 | 2 | 1 | 1 | 0 | 55 | 6 | ||||
| 2004 | Renault | 18 | 18 | 0 | 4 | 13 | 2 | 1 | 1 | 1 | 0 | 0 | 59 | 4 | ||||
| 2005 | Renault | 19 | 18 | 7 | 15 | 17 | 1 | 6 | 9 | 1 | 2 | 0 | 133 | 1 | ||||
| 2006 | Renault | 18 | 18 | 7 | 14 | 16 | 1 | 6 | 6 | 1 | 5 | 1 | 134 | 1 | ||||
| 2007 | McLaren | 17 | 17 | 4 | 12 | 16 | 1 | 2 | 9 | 1 | 3 | 2 | 109 | 3 | ||||
| 2008 | Renault | 18 | 18 | 2 | 3 | 15 | 1 | 0 | 1 | 2 | 0 | 0 | 61 | 5 | ||||
| 2009 | Renault | 17 | 17 | 0 | 1 | 14 | 3 | 1 | 2 | 1 | 2 | 0 | 26 | 9 | ||||
| 2010 | Ferrari | 19 | 19 | 5 | 10 | 18 | 1 | 2 | 3 | 1 | 5 | 2 | 252 | 2 | ||||
| 2011 | Ferrari | 19 | 19 | 1 | 10 | 18 | 1 | 0 | 1 | 2 | 1 | 0 | 257 | 4 | ||||
| 2012 | Ferrari | 20 | 20 | 3 | 13 | 18 | 1 | 2 | 3 | 1 | 0 | 0 | 278 | 2 | ||||
| 2013 | Ferrari | 19 | 19 | 2 | 9 | 18 | 1 | 0 | 0 | 3 | 2 | 0 | 242 | 2 | ||||
| 2014 | Ferrari | 19 | 19 | 0 | 2 | 17 | 2 | 0 | 0 | 4 | 0 | 0 | 161 | 6 | ||||
| 2015 | McLaren | 18 | 18 | 0 | 0 | 10 | 5 | 0 | 0 | 9 | 0 | 0 | 11 | 17 | ||||
| 2016 | McLaren | 20 | 20 | 0 | 0 | 16 | 5 | 0 | 0 | 7 | 1 | 0 | 54 | 10 | ||||
| 2017 | McLaren | 19 | 19 | 0 | 0 | 9 | 6 | 0 | 0 | 7 | 1 | 0 | 17 | 15 | ||||
| 2018 | McLaren | 21 | 21 | 0 | 0 | 15 | 5 | 0 | 0 | 7 | 0 | 0 | 50 | 12 | ||||
| Total | 314 | 312 | 32 | 97 | 250 | 1 | 22 | 37 | 1 | 23 | 5 | 1899 |
| グランプリ | サーキット | 開催日 | ||
|---|---|---|---|---|
| デビュー戦 | オーストラリアGP | アルバート・パーク | 2001年3月4日 | レース結果 |
| ラストレース | アブダビGP | ヤス・マリーナ | 2018年11月25日 | レース結果 |
F1の中でも最も優れたオールラウンダーとして知られる2度のワールドチャンピオン、フェルナンド・アロンソは2010年にフェラーリをホームグラウンドとした。アロンソの強い精神はすぐにマラネロの支持を得たが、チームとの夢のパートナーシップは大きな目標を果たせないまま2014年に終わりを告げる。2度のニアミスで悔しい思いをしながらも、3度目のタイトルにはついぞ届かなかった。
カート時代に多くの成功を収め、ワールドチャンピオンにも輝いたアロンソは1999年、ユーロ・オープン・モビスターbyニッサン(現在のワールド・シリーズbyルノー)に参戦してタイトルを奪取。翌年にはF3000にステップアップしている。また、この頃からF1チームらはスペインの若き才能に注目し、アロンソはミナルディでテストチャンスを得た。
ミナルディからレースデビューを果たした2001年、経験に勝るチームメイトを上回る結果を残すなどして輝きを放つ。次のシーズンはルノーのテストドライバーを務め、さまざまなスキルや経験を培っている。
ルノーのレースシートを失ったジェンソン・バトンの後任として、アロンソは2003年にルノーから再デビュー。序盤から速さを発揮し、マレーシアGPでは初めてのポールポジションを獲得、さらにハンガリーGPでF1初勝利を刻んだ。2004年は勝てなかったものの、2005年になるとキミ・ライコネン(当時マクラーレン)と競ってタイトル争いを演じ、見事に史上最年少ワールドチャンピオン(当時)に輝く。2006年は序盤9戦で6勝を挙げ、後半に復活したミハエル・シューマッハ(フェラーリ)を抑えきって2年連続でドライバーズ選手権を制する栄冠を手にした。
2007年には栄光のカーナンバー1を手に名門マクラーレンへ移籍。序盤から結果を残したものの、次第にチームメイトのルイス・ハミルトンが頭角を現し、関係性が微妙になる。ハンガリーGPでは予選Q3でマクラーレンのお家騒動が発生し、この年限りでのチーム離脱が決定的に。結局、タイトル獲得を果たすことなくランキング3位で終えたアロンソはそのシーズンオフ、翌年からのルノー復帰を決めた。
ナンバー1待遇でルノーに再び迎えられたアロンソだが、2008年は終盤戦に2勝を挙げるにとどまる。そのうちの1勝は、後に"クラッシュゲート"として明るみに出ることになるシンガポールGPで手にしたものだ。2008年の終盤戦で好調だったことから2009年シーズンの活躍が期待されたが、マシンを含めたパッケージに競争力がなく、苦しい戦いを強いられた。シーズン途中からフェラーリとの契約がうわさされ、同年日本GPの直前にフェラーリと正式契約を結んだことを発表、ついに跳ね馬のレースシートを手にすることになった。
2010年に惜しくもタイトルを逃し、翌年はより良いシーズンを願っていたアロンソだが、タイトルはスピードに加えて一貫性を手に入れたセバスチャン・ベッテルとレッドブルの手に。アロンソにとってはシルバーストーンが唯一の勝利となるも、チームメイトの最高位が5位であるのに対してイギリスGP以外に9回の表彰台を達成したところにマシン以上の力を発揮する能力が現れており、レースへの態度をよく示している。
2012年シーズン開幕当初は事態がさらに悪くなったように見えていたが、競争力のないマシンで善戦したアロンソは夏休みまでにチャンピオンシップリーダーとなる。しかしながら、後半戦に入ってオープニングラップでの衝突によるリタイアを2回喫したためにベッテルのリードを許した状態でブラジルでのファイナルラウンドを迎え、最終的には3ポイント差でタイトルには届かなかった。だが、その果敢な戦いには3連続王者となった新チャンピオンよりも多くの称賛の声が寄せられている。
アロンソのパフォーマンスに見合うマシンを生み出そうと気張るフェラーリの努力によって2013年は期待の持てるシーズンスタートとなり、開幕戦オーストラリアGPでは2位に入る。さらに第5戦までに2勝を挙げたものの、その後はミスが増えて厳しいシーズンとなっていった。最も顕著だったのはマレーシアGPのスタート直後にベッテルとクラッシュしてフロントウイングを破損したにもかかわらず、ピットに戻ることができず2周目に入ったところでフロントウイングが脱落、リタイアを喫したことだ。不調に陥るにつれアロンソとチームの間には緊張関係が高まり、アロンソのチーム批判はフェラーリ社長のルカ・ディ・モンテゼモーロによって一蹴された。
2014年にはキミ・ライコネンがフェラーリに再加入し、2人のチャンピオンというラインアップにファンの期待はこれ以上ないほど高まった。しかし、アロンソがライコネンによって苦しめられる様子は見られず、ときに限界を超えてまでフェラーリを駆り立てたアロンソはシーズンを通してチームメイトを凌駕している。ハンガリーGPでは優勝まであと一歩だったとは言え、競争力が大幅に劣るマシンで2回の表彰台を達成したことも努力に努力を重ねたアロンソにしてみればそれほどの慰めにならなかった。シーズン末、レッドブルを離れたセバスチャン・ベッテルのフェラーリ入りをはじめ、メルセデスに空きシートがないことが明らかになるや否や、2015年のアロンソの移籍先がストーブリーグの中心的な話題となる。そんな中でアロンソが選んだのはシーズンスタート時には予想もつかなかったセンセーショナルなマクラーレン復帰だった。
ジェンソン・バトンとの王者コンビで、かつて黄金時代を築いたHondaと再タッグを組んだ新生マクラーレンの牽引役を担ったアロンソ。しかしながら、プレシーズンテストの段階からマクラーレンの新車にトラブルが頻発した上、アロンソは第2回のテスト中にクラッシュを喫し、一時的に意識を失ってしまう。外傷はなかったものの、アロンソは医師の助言にしたがって開幕戦を欠場し、マクラーレンリザーブドライバーのケビン・マグヌッセンが代役を務めた。
アロンソにとって波乱含みの幕開けとなった2015年はその後も忍耐を強いられる厳しい展開となり、シーズンベストリザルトである第10戦ハンガリーGPの5位以外には入賞を1回果たしたのみ。苦戦の中で時にパワー不足のHonda製パワーユニットを「GP2エンジン」と批判したこともあるアロンソだが、マクラーレン移籍の決断が失敗だったとは考えておらず、2016年はまったく別の年になると確信していた。
そのアロンソの予想通り、翌年のマクラーレン・ホンダは目に見えて進歩を遂げる。この年も開幕戦でクラッシュした影響で第2戦を欠場するという波乱のシーズン幕開けとなったアロンソだが、パワーユニットの信頼性とパワーが増したことで予選Q3に進出するのも珍しいことではなくなり、最終的には全21戦中9レースで得点を挙げた。特にオープニングラップで大きくポジションを上げる走りは2度の王者の名に恥じぬものであり、1周目で上げたポジションの総計は他のどのドライバーよりも多い41に達している。いまだ目指すべき位置から遠いとはいえ、プロジェクトが途上であるだけでマクラーレン・ホンダ自体は「今までのキャリアでいた中で一番のチーム」とアロンソは評しており、チームと共にワールドチャンピオンになるのが唯一の目標だと語った。
だが、元僚友のバトンに代わって若手のストフェル・バンドールンを相棒に迎えた2017年はプレシーズンテストの段階から、大幅な変更が加えられたエンジンにまたも信頼性とパワーが不足していることが明らかになった。再び厳しい戦いを強いられたアロンソは自身のパフォーマンスはキャリアベストだと感じながらも結果が残せないフラストレーションを募らせていく。そんな中でアロンソに新鮮な感触をもたらしたのは、マクラーレンとHonda、アンドレッティ・オートスポーツの連携で実現したインディ500への挑戦だった。モナコGPを欠場して伝統のオーバルレースに挑んだアロンソは、さすがの走りで予選5番手につけて世界中のファンをうならせたが、決勝では一時トップを走りながらもホンダエンジンのトラブルでリタイアを喫している。F1パドックに戻って以降は引退も頭をよぎったというものの、マクラーレンがHondaとの提携を打ち切ってルノーパワーに移行することを決断した後に、アロンソが2018年もマクラーレンに残留することが発表された。ランキングこそ15位に終わった2017年だったが、その活動はF1パドックを越え、9月にレアル・マドリードの公式名誉メンバーに選ばれたほか、10月には2018年1月のデイトナ24時間レース参戦が決定。11月にはル・マン参戦に備えてトヨタのLMP1マシンをテストしたのに続き、eスポーツのレーシングチームを立ち上げた。
マクラーレンがPUをルノーに変更して初年度の2018シーズン、開幕戦オーストラリアGPで予選11番手、決勝5位といきなり好成績をたたき出す。その後も予選では確実にQ2進出を果たし、決勝では開幕から5戦連続でポイントを獲得する。しかし、その後はマクラーレンのマシンの進化が他チームに追い付けないためか、シーズン後半にかけてポイントを獲得するレースが減っていき、最後の6戦はノーポイントに終わる。最終的には50ポイントを獲得し、ランキング11位でシーズンを終えた。8月14日、マクラーレンは2018年シーズンをもってアロンソがF1を離れると発表した。アロンソは2001年にミナルディからF1にデビューして以来ルノー、フェラーリ、マクラーレンに所属して17シーズンを戦ってきた。言うまでも無く2度のワールドチャンピオンだ。最終戦アブダビGPでは11位でチェッカーフラッグを受けた後、かつてチャンピオンを争ったメルセデスのルイス・ハミルトンとフェラーリのセバスチャン・ベッテルに付き添われる形でコースを周回し、最後には3人でドーナツターンを披露した。レース後アロンソはインタビューに答えて「この週末のことは永遠に忘れない」「コンペティティブなクルマだったこともあるし、そうじゃないこともあったけど、一度も諦めたことはない。自分が達成したこと、世界のベストチームでレースができたことを誇りに思う」と語った。
F1でのキャリアをひとまず終えることになったアロンソだが、最終戦で「僕はレースをやめるわけじゃない。僕はモータースポーツが大好きだから、まだ見限らないでね!」と語ったように、2018年はF1以外でのレース活動も活発に行っている。この年はトヨタからWECにフル参戦し、LMPドライバーズ選手権で2勝を挙げている(このシーズンのWECは特殊で、2018年5月から2019年6月にかけて行われる)。このうちの1勝は、ル・マン24時間レースで、2回優勝しているモナコGPとあわせて、「世界3大レース」の2つを制覇したことになる。残るはアメリカのインディ500だが、2019年はシボレーエンジンを搭載したマクラーレンでエントリーすることが発表されている。
【長所と短所】
とにかく安定感が抜群なアロンソはポジションキープのために激しいバトルを見せつつ、いいポジションでレースを終えることが多い。それでも、ナンバー1待遇を与えられたときにその真価を発揮するため、2007年のマクラーレンのように競争力のあるチームメイトを抱えたときは困難な戦いを強いられることもある。
【キャリア最高の瞬間】
2005年ブラジルGPで予選16番手だったアロンソはレースで3位まで立て直し、初めてF1世界タイトルを手にする。これは、前年まで5連覇していたミハエル・シューマッハ時代にピリオドを打つものとなった。
【キャリア最低の瞬間】
やはり、マクラーレン時代が最も難しい時期だったと言えよう。チームメイトのハミルトンやチーム首脳との確執が表面化したのが2007年ハンガリーGPだった。予選Q3で残り時間がわずかとなった際、先にピットでタイヤ交換を行ったアロンソは後ろでハミルトンが待っていることを知りながらも、発進せず。これにより、ハミルトンがタイヤ交換を行ってピットアウトラップを終えたときには、すでにチェッカーフラッグが振られていた。この予選ではアロンソがポールポジションをゲットしたものの、セッション後、FIAがアロンソに対してペナルティを科している。
【注目のコメント】
アルド・コスタ(元フェラーリテクニカルディレクター)、2014年のコメント
「マシンの外では、私は一度も彼を理解できなかった。私にとって彼は理解できない人物、謎めいた暗号だった」
フェルナンド・アロンソ
「僕は最速のドライバーじゃないかもしれない。最高のテクニックを持っているわけでもないだろう。だけど、安定感があるんだ」
ニキ・ラウダ
「愚痴をこぼしたり不平を言うのではなく、とにかく速く走ることに集中することこそ、今のアロンソがやっていることさ」
マーティン・ブランドル
「マシンに乗ったアロンソに弱点を見いだすことはほとんどない。さまざまな種類のカードを持っているのだ。私の考えでは、現時点で最も競争力のあるF1ドライバーだろう。これからの彼は再びプッシュすることができるだろうし、手にしたワールドタイトルの数を増やすだろうことは疑いようもない」
【トリビア】
アロンソは閉所恐怖症であり、リフトに閉じ込められることを恐れている。
-
アロンソ、アンドレッティとインディ500の契約間近か (2020年1月9日)
-
マクラーレンのステラがレーシングディレクターに昇進 (2020年1月3日)
-
2021年のF1復帰にオープンなアロンソ (2019年12月1日)
-
戴冠祝福のメッセージに感動するハミルトン (2019年11月15日)
- F1現役ベストドライバーはフェルスタッペンだとアロンソ (2019年11月15日)