ニック・ハイドフェルド  ドイツ

driver portrait
F1キャリア / 戦績
Year Car Race Start Won Pod Class Best Pole Front Best Lap Hat Pts Pos
2000 Prost 17 17 0 0 6 8 0 0 13 0 0 0 -
2001 Sauber 17 17 0 1 11 3 0 0 6 0 0 12 8
2002 Sauber 17 17 0 0 14 4 0 0 5 0 0 7 10
2003 Sauber 16 16 0 0 12 5 0 0 4 0 0 6 14
2004 Jordan 18 18 0 0 11 7 0 0 13 0 0 3 18
2005 Williams 15 13 0 3 9 2 1 1 1 0 0 28 11
2006 BMW Sauber 18 18 0 1 15 3 0 0 3 0 0 23 9
2007 BMW Sauber 17 17 0 2 15 2 0 1 2 0 0 61 5
2008 BMW Sauber 18 18 0 4 18 2 0 0 5 2 0 60 6
2009 BMW Sauber 17 17 0 1 15 2 0 0 3 0 0 19 13
2010 BMW Sauber 5 5 0 0 4 8 0 0 11 0 0 6 18
2011 Renault 11 11 0 1 8 3 0 0 6 0 0 34 11
Total 186 184 0 13 138 2 1 2 1 2 0 259
グランプリ サーキット 開催日
デビュー戦 オーストラリアGP アルバート・パーク 2000年3月12日 レース結果
ラストレース ハンガリーGP ハンガロリンク 2011年7月31日 レース結果
プロフィール
© Sutton Images

身長165cmのニック・ハイドフェルドは歴代F1ドライバーの中でも背が低いドライバーの一人である。"クイック・ニック"の異名をとりながらも、ハイドフェルドがF1レースで表彰台の真ん中に立ったことはない。

ハイドフェルドのキャリアは、まだ幼かった9歳の頃にケルペン・マンハイムというクラブから、ゴーカートレースの選手権に出場したことから始まった。1990年、13歳の時にノルトライン・ヴェストファーレンのDMVカート・レース選手権に初出場し、そのカップでは5位を獲得している。

翌1991年、ADACジュニア・ナショナル・チームに選抜され、ADACジュニア・トロフィーで3位に入る。このチーム在籍中に、国際CIK ジュニア・ランで勝利を収めた。1992年にはドイツのジュニア・カート選手権で総合5位を獲得し、翌1993年にはフランスのラヴァル世界選手権(フォーミュラA)に参戦を果たしたのである。

1994年には9戦8勝で、ドイツ・フォーミュラ・フォード1600チャンピオンシップを勝ち取った。続く1995年にはFF1800国際ドイツ・チャンピオンシップにステップアップ、4勝と5度の表彰台フィニッシュを果たし、ここでもチャンピオンシップを制している。

1996年にはオペルBSRチームからドイツF3に参戦し、3勝を挙げて総合3位。また、この年行なわれたマカオGPではポールポジションを獲得し、第1ヒートも1位で通過したが、最終成績は6位という結果だった。

1997年、ハイドフェルドはジュニアドライバーとしてメルセデスに移籍する。さらにF1のウェスト・マクラーレン・メルセデスのテストドライバー契約を結んだ。並行してオペル・チームからドイツF3への参戦も続け、ここでタイトルを獲得した。

1998年は国際F3000選手権に昇格、選手権では2回のポールポジションと、2回のファステストラップを記録している。この年のモナコ、ホッケンハイム、ハンガロリンクでのレースで優勝を果たした。

1999年もF1の舞台を夢見て、マクラーレンのテストドライバーを続投。それと同時にウェスト・チームから参戦していた国際F3000では、53ポイントを獲得してチャンピオンに輝いている。

2000年、プロスト・チームからついにF1デビューを果たす。しかし、マシンの信頼性は乏しく、パフォーマンスも伸び悩み、ハイドフェルドのデビューイヤーは目立った印象を残せないまま終わってしまった。

2001年はザウバーに移籍して心機一転を計る。ブラジルGPを3位でフィニッシュし、初めて表彰台にも上った。この年は合計12ポイントを獲得し、ドライバーズランキングを8位でフィニッシュ。また、このポイントによりザウバー・チームのコンストラクターズランキング4位(チーム創設以来の最高順位)という結果に大きく貢献している。マシンの戦闘力さえあれば、決して伸び悩むようなドライバーではないことをチーム内外に強くアピールした結果だった。

2002年シーズンもザウバーで戦ったハイドフェルド。前年度のチームメイトだったキミ・ライコネンはマクラーレンに電撃移籍し、替わってブラジルの新星フェリペ・マッサを迎える。この年のハイドフェルドは7ポイントを獲得するにとどまり、チームのコンストラクターズ選手権は5位にすべり落ちてしまった。

2003年は厳しいシーズンを過ごす。ザウバーC22は競争力に欠け、シーズン終盤までの獲得ポイントは2ポイントのみだったのだ。第15戦アメリカGP でリスキーな雨のコンディションに乗じて運良く4ポイントを獲得したが、チームはすでに来シーズンの体制を固めてしまっていた。このレース後、ザウバーはフェリペ・マッサとジャンカルロ・フィジケラの布陣で2004年シーズンに臨むと発表したのだ。

居場所を失ったハイドフェルドは長い冬を送った。そして壮絶な争奪戦の末、何とかジョーダンのシートを獲得。ハイドフェルドはF1界のサバイバルゲームで生き残りを果たしたのである。

ジョーダンから参戦した2004年は苦しい1年となったが、フォード・コスワース・エンジンは大きなメーカーよりパワーでは劣ったものの、ハイドフェルドはチームメイトより15回も予選でいい結果を出した。モナコGPとカナダGPで入賞、合計3ポイントを獲得している。

2004年は決して良い年とは言えなかったハイドフェルドだが、2005年はBMWウィリアムズのセカンドシートという大きなチャンスをつかみ、開幕から 7戦で3度も表彰台に上る素晴らしいスタートを切った。ところが、チーム側はBMWとの不仲が深刻化。7月になるとBMWがザウバーの買収を発表し、ハイドフェルドは2006年、BMWで走ることになったのだ。

イタリアGP前に行われたテストで、大きなアクシデントに見舞われたハイドフェルドは頭痛を訴え、イタリアGPを欠場。その後も別のケガを負って、2005年シーズンを欠場のまま終えることとなった。

2006年も引き続き、BMWザウバーでキャリアを積んだハイドフェルド。当初はジャック・ビルヌーブとタッグを組み、ハイドフェルドは元ワールドチャンピオンと互角の力を証明した。しかし、シーズン中盤、ビルヌーブがチームを離脱、代わってテストドライバーだったロバート・クビサがハイドフェルドのパートナーとなったのだ。

レース参戦直後から速さを見せたクビサが刺激となり、ハイドフェルドもレースで速さを増していく。そして、ハンガリーGPでチーム初の表彰台となる3位でチェッカーを受けた。ハイドフェルドはシーズンを9位でフィニッシュ。

2007年、"クイック・ニック"と異名をとるハイドフェルドは、モナコとハンガリーで表彰台に上り、入賞を果たせなかったグランプリは3戦だけ。BMW ザウバーのF1.07はフェラーリやマクラーレンの速さにはおよばなかったものの、合計61ポイントを獲得したハイドフェルドは選手権を自身最高となる5位で終えている。

BMWザウバーが初優勝を目標に掲げた2008年もチームにとどまったハイドフェルドだったが、その目標をチームにもたらしたのはクビサだった。しかもハイドフェルドがペースに苦戦したカナダGPでの勝利。クビサが強力なシーズンを送り、終盤までタイトルを争った一方で、ハイドフェルドは苦悩し続け、とりわけ予選に苦戦する。ハイドフェルドの最終的なポイントは彼のドライビングスタイルに合わないパッケージで抱えた困難を反映してはいない。

BMWがシーズン末のF1撤退を表明した2009年、ハイドフェルドとザウバー・チームは確証のない未来に直面する。序盤11戦はわずか6点の獲得にとどまったハイドフェルドだったが、後半戦では復調の兆しを見せて13ポイントを加算。それでもベルギーとアブダビで残した5位がベストリザルトだった。

2010年はメルセデスGPのリザーブドライバーとして始動するも、ラスト5戦は古巣ザウバーのレースドライバーとしてグランプリ参戦を果たす。しかしながら、シーズンが終わると同時に契約は満了。2011年のF1参戦継続を模索するさなか、ロバート・クビサ負傷の緊急事態にルノーから声がかかり、クビサの代役としてルノーのステアリングを握ることになった。だが、当初は競争力を見せたマシンもすぐにペースが落ち、フレッシュなドライバーからの刺激を求めたチームは11レースを終えた段階でハイドフェルドとブルーノ・セナの交代を決断している。

【長所と短所】

"頼れる男"ハイドフェルドには競争力の劣るマシンでポイントを獲得する不思議な能力がある。とはいえ、クイック・ニックのニックネームにもかかわらず、表彰台の常連になるまでには至っていない。

【キャリア最高の瞬間】

2005年モナコGPを2位フィニッシュした後、母国のファンが集うニュルブルクリンクでポールポジションを記録したこと。レースは後のチャンピオン、フェルナンド・アロンソに次ぐ2位でゴールした。

【キャリア最低の瞬間】

2005年シーズンのラスト5レースを欠場したこと。それでもチャンピオンシップは11位の成績を残している。

【注目のコメント】

◆ ニック・ハイドフェルド

「僕は今でもワールドチャンピオンになりたい。たとえそれが40歳で達成されようともね。ここ数年を振り返れば、ドライバーは38歳とか39歳まで続けられるみたいだから、僕にはまだあと数年残されている」

◆ マーティン・ウィットマーシュ(マクラーレン代表)

「彼はF1で最も過小評価されたドライバーだ」

【トリビア】

コース上では信頼性と安定性を発揮し続けているにもかかわらず、パドックを離れたハイドフェルドはダンスフロアで多くの時間を過ごすパーティー好きとして知られている。

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