ジェンソン・バトン
イギリス
- 氏名 ジェンソン・アレクサンダー・ライオンズ・バトン
- 生年月日 1980年1月19日
- 出身地 イギリス サマセット州フロム
- 年齢 32歳19日
- 身長 1.82 m
- 体重 72 kg
- 現所属チーム マクラーレン
- 過去の在籍チーム BAR, Benetton, Honda, ウィリアムズ, ブラウンGP, ルノー
| # | Grand Prix | Circuit | Date | Car | Pos | Pts | Qual | FL |
|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
| 2 | オーストラリア | アルバート・パーク | 3月27日 | マクラーレン (MP4-26) | 6 | 8 | 4 | |
| 3 | マレーシア | セパン | 4月10日 | マクラーレン (MP4-26) | 2 | 18 | 4 | |
| 4 | 中国 | 上海 | 4月17日 | マクラーレン (MP4-26) | 4 | 12 | 2 | |
| 5 | トルコ | イスタンブール | 5月8日 | マクラーレン (MP4-26) | 6 | 8 | 6 | |
| 6 | スペイン | カタロニア | 5月22日 | マクラーレン (MP4-26) | 3 | 15 | 5 | |
| 7 | モナコ | モナコ | 5月29日 | マクラーレン (MP4-26) | 3 | 15 | 2 | |
| 8 | カナダ | モントリオール | 6月12日 | マクラーレン (MP4-26) | 1 | 25 | 7 | FL |
| 9 | ヨーロッパ | バレンシア | 6月26日 | マクラーレン (MP4-26) | 6 | 8 | 6 | |
| 10 | イギリス | シルバーストーン | 7月10日 | マクラーレン (MP4-26) | - | 5 | ||
| 11 | ドイツ | ニュルブルクリンク | 7月24日 | マクラーレン (MP4-26) | - | 7 | ||
| 12 | ハンガリー | ハンガロリンク | 7月31日 | マクラーレン (MP4-26) | 1 | 25 | 3 | |
| 13 | ベルギー | スパ | 8月28日 | マクラーレン (MP4-26) | 3 | 15 | 13 | |
| 14 | イタリア | モンツァ | 9月11日 | マクラーレン (MP4-26) | 2 | 18 | 3 | |
| 15 | シンガポール | シンガポール | 9月25日 | マクラーレン (MP4-26) | 2 | 18 | 3 | FL |
| 16 | 日本 | 鈴鹿 | 10月9日 | マクラーレン (MP4-26) | 1 | 25 | 2 | FL |
| 17 | 韓国 | 霊岩 | 10月16日 | マクラーレン (MP4-26) | 4 | 12 | 3 | |
| 18 | インド | ニューデリー | 10月30日 | マクラーレン (MP4-26) | 2 | 18 | 4 | |
| 19 | アブダビ | ヤス・マリーナ | 11月13日 | マクラーレン (MP4-26) | 3 | 15 | 3 | |
| 20 | ブラジル | インテルラゴス | 11月27日 | マクラーレン (MP4-26) | 3 | 15 | 3 |
| Year | Car | Race | Start | Won | Pod | Class | Best | Pole | Front | Best | Lap | Hat | Pts | Pos | ||||
|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
| 2000 | Williams | 17 | 17 | 0 | 0 | 11 | 4 | 0 | 0 | 3 | 0 | 0 | 12 | 8 | ||||
| 2001 | Benetton | 17 | 17 | 0 | 0 | 12 | 5 | 0 | 0 | 9 | 0 | 0 | 2 | 17 | ||||
| 2002 | Renault | 17 | 17 | 0 | 0 | 12 | 4 | 0 | 0 | 6 | 0 | 0 | 14 | 7 | ||||
| 2003 | BAR | 16 | 15 | 0 | 0 | 10 | 4 | 0 | 0 | 5 | 0 | 0 | 17 | 9 | ||||
| 2004 | BAR | 18 | 18 | 0 | 10 | 15 | 2 | 1 | 3 | 1 | 0 | 0 | 85 | 3 | ||||
| 2005 | BAR | 17 | 16 | 0 | 2 | 12 | 3 | 1 | 4 | 1 | 0 | 0 | 37 | 9 | ||||
| 2006 | Honda | 18 | 18 | 1 | 3 | 14 | 1 | 1 | 3 | 1 | 0 | 0 | 56 | 6 | ||||
| 2007 | Honda | 17 | 17 | 0 | 0 | 11 | 5 | 0 | 0 | 6 | 0 | 0 | 6 | 15 | ||||
| 2008 | Honda | 18 | 18 | 0 | 0 | 14 | 6 | 0 | 0 | 9 | 0 | 0 | 3 | 18 | ||||
| 2009 | Brawn | 17 | 17 | 6 | 9 | 16 | 1 | 4 | 5 | 1 | 2 | 1 | 95 | 1 | ||||
| 2010 | McLaren | 19 | 19 | 2 | 7 | 17 | 1 | 0 | 1 | 2 | 1 | 0 | 214 | 5 | ||||
| 2011 | McLaren | 19 | 19 | 3 | 12 | 17 | 1 | 0 | 3 | 2 | 3 | 0 | 270 | 2 | ||||
| Total | 210 | 208 | 12 | 43 | 161 | 1 | 7 | 19 | 1 | 6 | 1 | 811 |
| グランプリ | サーキット | 開催日 | ||
|---|---|---|---|---|
| デビュー戦 | オーストラリアGP | アルバート・パーク | 2000年3月12日 | レース結果 |
| ラストレース | ブラジルGP | インテルラゴス | 2011年11月27日 | レース結果 |
ジェンソン・バトンが幼い頃からの夢をついにかなえたのは2009年、モータースポーツ最高峰の舞台で戦い始めて10年目のF1タイトル獲得だった。そのF1キャリアではバトンの才能や情熱が疑問視されることもあったが、究極の賛美を浴びて、今ではパドック内で最もホットなドライバーの1人として扱われるようになった。
2009年11月18日、マクラーレンとの契約を発表したバトンはルイス・ハミルトンのチームメイトとして究極の英国ドリームチームの一員となる。当時は共にチャンピオンシップ制覇を成し遂げたチームを去ることを批判する声が多かったものの、シーズン序盤に2勝を上げてそれらの意見を一蹴している。マクラーレンではハミルトンと友好的な関係を築いており、ウォーキングでの勤務期間は長期におよびそうだ。
そんなバトンがF1に昇格を果たしたのはカートを卒業してわずか2年後のこと。当初から明らかだったバトンの才能はカート時代からの仲間であるアンソニー・デビッドソンやハミルトンからあがめられるほどだった。
カートからフォーミュラ・フォードへとステップアップしたバトンはデビューイヤーにイギリス選手権を圧勝。翌年にはF3に昇格し、そこでも人々に感銘を与えるドライビングを披露している。
プロストF1でのテスト走行がバトンの名をパドック中に広めることになる。数々のテストドライバー契約のオファーがもたらされるも、フランク・ウィリアムズ代表が2000年に先だってセカンドドライバーにバトンを起用、世界中の度肝を抜いた。
堅実なルーキーイヤーを過ごしたものの、ウィリアムズが2001年にはそのシートをファン-パブロ・モントーヤに与えたことから、バトンはベネトンへと移籍する。新天地では競争力のないマシンを初体験。経験豊富なチームメイトのジャンカルロ・フィジケラの影に隠れてしまった。
ベネトンは2002年にルノーに買収され、翌2003年にはチームを率いるフラビオ・ブリアトーレがお気に入りのフェルナンド・アロンソを起用し、バトンはシートを明け渡すことに。しかしながら、B・A・Rの代表だったデビッド・リチャーズはバトンのポテンシャルを買っており、ジャック・ビルヌーブのチームメイトとしてバトンを迎え入れる。時に苦悩をももたらしたこの移籍だが、最終的には長く続く実り多き時代の始まりとなった。
バトンが初めて表彰台に上ったのは2004年。初のポールポジションを獲得して挑んだレースで2位フィニッシュを果たした。同年のチャンピオンシップは当時、圧倒的な強さを見せていたフェラーリ勢のミハエル・シューマッハとルーベンス・バリチェロに次ぐランキング3位で終えている。それでも、114戦目を迎えてまだ未勝利だったバトンの能力を疑う者も存在した。ようやく運が向き始めたのは2006年ハンガリーGP。予期せぬ雨が狭いハンガロリンクのコースにスペースを与え、オーバーテイクを可能にした。この幸運を生かしたバトンは14番手スタートながらも、次々にマシンをかわしてトップチェッカー。表彰台の頂点に立った。
ついに手にした初勝利にもかかわらず、悪夢はまだ終わらない。2007年と2008年のシーズンにコンペティティブとは程遠いマシンを造り出したHonda Racing F1が2008年末にF1から撤退してしまう。2009年のレースシートを失ったバトンがこの2年間で稼ぎ出したポイントはわずか9点だった。
2009年、バトンは新たにブラウンGPへと生まれ変わったチームでキャリアをつないだ。マシンは序盤戦から目を見張る速さを発揮し、開幕から7戦中6戦で優勝をつかんだバトンはライバルたちに差をつける。その後は表彰台の頂点に上ることこそなかったものの、スタートダッシュで築いたリードを保ったバトンはついに念願のワールドチャンピオンに輝いた。
翌年はカーナンバー1を手土産にマクラーレンに移籍。ルイス・ハミルトンを僚友に戦い、ランキング5位で移籍後初のシーズンを終えた。2011年は持ち味だったスムースな走りにアグレッシブさが加わり、圧倒的なパフォーマンスで新王者となったセバスチャン・ベッテルに次ぐランキング2位に入る活躍を見せている。2012年もマクラーレンでハミルトンとのコンビを継続する。
【長所と短所】
バトンがF1で最も技術的に完ぺきなドライバーの1人であることは、数字が物語っている。しかし、タイヤが冷えた状態であったり、オーバーステア気味のクルマに乗ったりするような変わりやすい状況の時には、順応に苦戦することがある。
【キャリア最高の瞬間】
2009年にチャンピオンシップを獲得したこと。加えて、タイトルを取れないのではないかと示唆していた批判者たちを、同年ブラジルGPでのパフォーマンスによってついに黙らせることができたこと。
【キャリア最低の瞬間】
初優勝までに114戦も費やしたこと。
【注目のコメント】
「自分が勝てないのなら誰が勝とうと興味はない。コンペティティブなクルマに乗っていないのなら何の違いもないさ。わざわざバカみたいなことはしたくないし、予選で14番手なんてまっぴら。アンハッピーなだけだよ」
マンセルとピケ、どちらを選ぶと聞かれて。
「マンセルだね。僕は彼が好きだし、素敵なヒゲを蓄えているじゃないか。少なくとも昔は最高のヒゲだったよ」
【トリビア】
バトンはフロントガラスが分かれたフォルクスワーゲンの1956年製キャンプカーを所有している。めずらしい車専用の大きなガレージを所有しているが、コレクションのひとつだったブガッティのヴェヴロンを2009年に90万ポンドで売却している。
ジェンソン・バトンのギャラリー
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バトンの存在は脅威にあらずとハミルトン (2012年2月6日)
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長く現役でいたいとバトン (2012年2月3日)
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"さらなる上昇"を願うバトン (2012年2月1日)
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マクラーレン、MP4-27を発表! (2012年2月1日)
- 「2人は始動を待ちかねている」とウィットマーシュ (2012年1月27日)
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2012年2月7日 © Press Association |
2012年2月7日 © Getty Images |
2012年2月1日 新車を眺めるハミルトンとバトン © Press Association |
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