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/ ペドロ・デ・ラ・ロサ

ペドロ・デ・ラ・ロサ  スペイン

driver portrait
F1キャリア / 戦績
Year Car Race Start Won Pod Class Best Pole Front Best Lap Hat Pts Pos
1999 Arrows 16 16 0 0 5 6 0 0 18 0 0 1 18
2000 Arrows 17 16 0 0 6 6 0 0 5 0 0 2 16
2001 Jaguar 13 13 0 0 7 5 0 0 9 0 0 3 16
2002 Jaguar 17 17 0 0 8 8 0 0 8 0 0 0 -
2005 McLaren 1 1 0 0 1 5 0 0 8 1 0 4 20
2006 McLaren 8 8 0 1 6 2 0 0 4 0 0 19 11
2010 BMW Sauber 14 13 0 0 7 7 0 0 9 0 0 6 17
2011 Sauber 1 1 0 0 1 12 0 0 17 0 0 0 -
2012 HRT 20 19 0 0 15 17 0 0 20 0 0 0 -
Total 107 104 0 1 56 2 0 0 4 1 0 35
グランプリ サーキット 開催日
デビュー戦 オーストラリアGP アルバート・パーク 1999年3月7日 レース結果
ラストレース ブラジルGP インテルラゴス 2012年11月25日 レース結果
プロフィール
© Sutton Images

ペドロ・デ・ラ・ロサがF1で過ごした年月は相当の長さにおよぶが、1999年に初めてモータースポーツ最高峰の舞台に足を踏み入れてから2012年末にHRTのシートを失うまでの間、フル参戦を果たしたのはわずか4シーズンにすぎない。とはいえ、テストで相当な距離を走り込んできたデ・ラ・ロサは抜群に豊かな経験を誇るドライバーでもあった。

1983年に始めたラジコンカーをきっかけにモータースポーツに興味を持ち、17歳でカートへ進んだデ・ラ・ロサ。スペイン・フォーミュラ・フォードからスタートし、スペイン・フォーミュラ・ルノーで優勝、イギリスF3に2年間参戦するなど、フォーミュラ・シリーズで着実にステップアップしてきた。

そんなデ・ラ・ロサは日本に渡った1995年に頭角を現す。初参戦で日本のF3選手権を制覇し、2年後にはフォーミュラ・ニッポン(F3000に相当する)のタイトルを獲得した。

1998年にジョーダンでテストドライバーを務めたのがF1へのチャンスとなり、1999年、アロウズのレースシートを確保してF1デビューを果たす。デビュー戦となる開幕戦でポイントを獲得したが、その後は伸び悩み、ポイントをマークするほどの結果を残すことはなかった。2000年もアロウズから参戦したが、2ポイントを獲得しただけで、苦戦のシーズンを過ごしている。

テストドライバーとしてジャガーに移籍した2001年は開幕から4戦後にルチアーノ・ブルティと交代、レースに参戦することになる。フォード傘下のチームだけあって勝利への期待は高まったが、マシンは決してパーフェクトとは言えず、前年より1点多い3ポイントの獲得にとどまった。2002年もジャガーから参戦するも、成績は右肩下がり。半分以上のレースでリタイアを喫してポイントを獲得することはなく、チームメイトのエディー・アーバインに大きな差をつけられた。

その後3年間はマクラーレンのテストドライバーとして活動し、1度だけグランプリに出走している。チームには重宝されていたものの、デ・ラ・ロサ自身はレースドライバー復帰を切望していた。そのチャンスが訪れたのは2006年。アメリカGPでチームメイトのキミ・ライコネンに衝突したファン-パブロ・モントーヤがチームを離脱し、デ・ラ・ロサが残りの8レースでコックピットに収まることになったのだ。ライコネンの比ではなかったが、初めて表彰台にも上って計19ポイントを獲得。これは自己最高のスコアである。

2007年もマクラーレンのレースドライバー続投の可能性はあったが、ロン・デニスはデ・ラ・ロサではなくルーキーのルイス・ハミルトンを起用することに決めた。以来、再びチームのテストドライバーを務める傍ら、チームのエンジンサプライヤーであるメルセデスとの関係上、フォース・インディアにも関わってきた。

2010年に先だって、新規参入組への移籍を含め、デ・ラ・ロサの動きについてさまざまなうわさが流れる。年が明けてしばらくすると、小林可夢偉のチームメイトとしてデ・ラ・ロサがザウバーのレースドライバーになることが発表された。しかし、チームの期待に応えられないリザルトが続いたために、シンガポールGPでニック・ハイドフェルドと交代に。以降はピレリでテストドライバーの任に就いた。

翌年は古巣マクラーレンのテスト兼リザーブドライバーとなり、カナダGPでは負傷したザウバーのセルジオ・ペレスに代わって急きょレースに参戦。2012年はHRTで再びレースドライバーに起用されている。残念ながら、そのHRTはチーム崩壊の危機に直面し、2012年シーズン末に売りに出されたものの、買い手がつかないままFIAの2013年エントリーリストから姿を消した。

レースシートは喪失したものの、長年テストドライバーを務めたデ・ラ・ロサの経験と知識は需要が高く、フェラーリがいち早くシミュレーターでの開発ドライバー兼リザーブドライバーとして獲得。2014年もフェラーリで仕事を続け、エンジンレギュレーションが大幅に改訂された翌年は同朋のフェルナンド・アロンソがマラネロを出てマクラーレンに移籍するのに伴い、デ・ラ・ロサもチームを去る。F1から離れたデ・ラ・ロサは2015年にフォーミュラEのテストに参加した。

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