ヤルノ・トゥルーリ
イタリア
- 氏名 ヤルノ・トゥルーリ
- 生年月日 1974年7月13日
- 出身地 イタリア・ペスカーラ
- 年齢 37歳211日
- 身長 1.73 m
- 体重 60 kg
- 現所属チーム ケータハム
- 過去の在籍チーム Jordan, トヨタ, プロスト, ミナルディ, ルノー, ロータス
| # | Grand Prix | Circuit | Date | Car | Pos | Pts | Qual | FL |
|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
| 2 | オーストラリア | アルバート・パーク | 3月27日 | ロータス (T128) | 13 | 20 | ||
| 3 | マレーシア | セパン | 4月10日 | ロータス (T128) | - | 20 | ||
| 4 | 中国 | 上海 | 4月17日 | ロータス (T128) | 19 | 20 | ||
| 5 | トルコ | イスタンブール | 5月8日 | ロータス (T128) | 18 | 19 | ||
| 6 | スペイン | カタロニア | 5月22日 | ロータス (T128) | 18 | 18 | ||
| 7 | モナコ | モナコ | 5月29日 | ロータス (T128) | 13 | 18 | ||
| 8 | カナダ | モントリオール | 6月12日 | ロータス (T128) | 16 | 19 | ||
| 9 | ヨーロッパ | バレンシア | 6月26日 | ロータス (T128) | 20 | 20 | ||
| 10 | イギリス | シルバーストーン | 7月10日 | ロータス (T128) | - | 21 | ||
| 12 | ハンガリー | ハンガロリンク | 7月31日 | ロータス (T128) | - | 19 | ||
| 13 | ベルギー | スパ | 8月28日 | ロータス (T128) | 14 | 18 | ||
| 14 | イタリア | モンツァ | 9月11日 | ロータス (T128) | 14 | 19 | ||
| 15 | シンガポール | シンガポール | 9月25日 | ロータス (T128) | - | 20 | ||
| 16 | 日本 | 鈴鹿 | 10月9日 | ロータス (T128) | 19 | 19 | ||
| 17 | 韓国 | 霊岩 | 10月16日 | ロータス (T128) | 17 | 20 | ||
| 18 | インド | ニューデリー | 10月30日 | ロータス (T128) | 19 | 19 | ||
| 19 | アブダビ | ヤス・マリーナ | 11月13日 | ロータス (T128) | 18 | 18 | ||
| 20 | ブラジル | インテルラゴス | 11月27日 | ロータス (T128) | 18 | 20 |
| Year | Car | Race | Start | Won | Pod | Class | Best | Pole | Front | Best | Lap | Hat | Pts | Pos | ||||
|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
| 1997 | Minardi, Prost | 14 | 13 | 0 | 0 | 10 | 4 | 0 | 0 | 3 | 0 | 0 | 3 | 16 | ||||
| 1998 | Prost | 16 | 16 | 0 | 0 | 7 | 6 | 0 | 0 | 10 | 0 | 0 | 1 | 16 | ||||
| 1999 | Prost | 16 | 15 | 0 | 1 | 8 | 2 | 0 | 0 | 7 | 0 | 0 | 7 | 11 | ||||
| 2000 | Jordan | 17 | 17 | 0 | 0 | 10 | 4 | 0 | 2 | 2 | 0 | 0 | 6 | 10 | ||||
| 2001 | Jordan | 17 | 17 | 0 | 0 | 8 | 4 | 0 | 0 | 4 | 0 | 0 | 12 | 9 | ||||
| 2002 | Renault | 17 | 17 | 0 | 0 | 8 | 4 | 0 | 0 | 6 | 0 | 0 | 9 | 8 | ||||
| 2003 | Renault | 16 | 16 | 0 | 1 | 11 | 3 | 0 | 2 | 2 | 0 | 0 | 33 | 8 | ||||
| 2004 | Renault, Toyota | 17 | 17 | 1 | 2 | 14 | 1 | 2 | 2 | 1 | 0 | 0 | 46 | 6 | ||||
| 2005 | Toyota | 19 | 18 | 0 | 3 | 15 | 2 | 1 | 4 | 1 | 0 | 0 | 43 | 7 | ||||
| 2006 | Toyota | 18 | 18 | 0 | 0 | 13 | 4 | 0 | 0 | 3 | 0 | 0 | 15 | 12 | ||||
| 2007 | Toyota | 17 | 17 | 0 | 0 | 13 | 6 | 0 | 0 | 6 | 0 | 0 | 8 | 13 | ||||
| 2008 | Toyota | 18 | 18 | 0 | 1 | 15 | 3 | 0 | 1 | 2 | 0 | 0 | 31 | 9 | ||||
| 2009 | Toyota | 17 | 17 | 0 | 3 | 13 | 2 | 1 | 4 | 1 | 1 | 0 | 32.5 | 8 | ||||
| 2010 | Lotus | 19 | 18 | 0 | 0 | 10 | 13 | 0 | 0 | 17 | 0 | 0 | 0 | - | ||||
| 2011 | Lotus | 18 | 18 | 0 | 0 | 14 | 13 | 0 | 0 | 18 | 0 | 0 | 0 | - | ||||
| Total | 256 | 252 | 1 | 11 | 169 | 1 | 4 | 15 | 1 | 1 | 0 | 246.5 |
| グランプリ | サーキット | 開催日 | ||
|---|---|---|---|---|
| デビュー戦 | オーストラリアGP | アルバート・パーク | 1997年3月9日 | レース結果 |
| ラストレース | ブラジルGP | インテルラゴス | 2011年11月27日 | レース結果 |
2009年シーズン末にトヨタがF1撤退を発表したことにより、ヤルノ・トゥルーリはF1引退の可能性に直面する。しかしながら、2010年にF1参入を果たしたロータスが新規チームへの手助けを求めてF1で13年の経験を持つトゥルーリを起用、14年目のシーズンを迎えることになった。ロータスの狙いは的中する。準備期間がしっかり取れた2011年に向けては成績向上が見込まれることもあって、ロータスはトゥルーリの続投を決めている。
トゥルーリの"ヤルノ"という名前は2輪チャンピオンのヤルノ・サーリネンにちなんで付けられたことからも分かるように、トゥルーリはイタリア・ペスカーラに住むオートバイファンの両親の下に生まれた。多くのF1ドライバーと同様、そのキャリアはカートからスタートする。イタリアやヨーロッパのカートタイトルを次々と制した後、ドイツF3に進み、1996年にはタイトルを獲得した。
イタリアのチーム、ミナルディから1997年にF1デビューしたが、第7戦にプロストのオリビエ・パニスが負傷したため、その後任としてプロストに移籍。ドイツGPを4位でフィニッシュし、初ポイントを記録する。F1デビューシーズンに3ポイントを獲得したトゥルーリは続く1998年シーズンもプロストに籍を置き、翌年にはドイツで開催されたヨーロッパGPでジョニー・ハーバートに次ぐ2位に入り、初めて表彰台に上った。1999年シーズンはプロストでのベスト記録となる7ポイントを獲得。翌2000年、トゥルーリはジョーダンに移籍したが、その先2年間は表彰台に上ることができなかった。
2002年、マネジャーのフラビオ・ブリアトーレの計らいで、トゥルーリはジェンソン・バトンと並んでルノーに加入する。成績はバトンの方が優れていたにもかかわらず、翌年に若手のフェルナンド・アロンソ(当時テストドライバー)にレースシートを譲ったのはトゥルーリではなくバトンだった。シーズン中盤に3度リタイアを喫したものの、シーズンを通して比較的安定した成績を残し、33ポイントを獲得したとはいえ、ルーキーのアロンソが55ポイントを稼ぎ出したこともあって、トゥルーリの成績はかすんでしまった。
2004年モナコGPでは、以前のチームメイトであるバトンを抑えて初優勝を遂げる。しかし、チームとの折り合いの悪さは修復できず、3レースを残してチームを放出された。彼の後任にはジャック・ビルヌーブが決まり、トゥルーリはトヨタに移籍してシーズン残り2レースを戦っている。
2005年は開幕から5戦で26ポイントを獲得し、チームメイトのラルフ・シューマッハに勝る快進撃だったが、最終的なランキングは12位にとどまった。2005年序盤で3度表彰台に上った後、再び表彰台でシャンパンを味わったのは2008年6月のこと。フランスGPで激戦の末、3位でフィニッシュしたのだ。
トヨタとの最後のシーズンとなった2009年は3度表彰台に上ったが、一番印象深かったのはトヨタファンが集う日本GPで2位表彰台を飾ったことである。
ロータスに移籍した2010年にはチームが新規参入組で一番の成功を達成する助けとなり、さらに一年契約を延長。しかし、パワーステアリングの問題からT128を自分のものとするのに苦戦し、全体的にチームメイトのヘイキ・コバライネンにおよばなかったばかりか、ドイツGPではカルン・チャンドックにシートを譲ることになった。2012年は同チームのシートを確保し、巻き返しを図る。
【長所と短所】
10年を超えるトゥルーリのF1経歴は、F1で体験できるあらゆる経験をしてきたと言えるだろう。その豊富な経験は新チームであるロータスにとってはとても貴重なはずだ。また、トゥルーリは予選に強いことでも知られる。とはいえ、オーバーテイクがし易いとも言われており、素晴らしい結果を残すこともあれば、そうでないこともあり一貫性に欠ける面が見られる。
【キャリア最高の瞬間】
最も名誉あるレースとしてカレンダーに君臨するモナコGPを2004年に制したこと。この年は3月から8月までミハエル・シューマッハの独壇場であったが、モナコでの優勝によりトゥルーリがシューマッハの連勝を止めた。
【キャリア最低の瞬間】
2004年、3戦を残してルノーから放出されたこと。初優勝をマークしたものの、チームのボスで元マネジャーであるブリアトーレとの関係が悪化し、離脱に至った。
【注目のコメント】
「F1をやっていると、毎日、毎レースごとに検査されて評価されているようなものなんだ。今日は大喜びしているかもしれないが、明日はどうなっているか分からない。つまり、そういったことに前向きに対応していかなければいけないんだ」
◆ マイク・ガスコイン(ロータス テクニカルディレクター/元トヨタ)
「1周だけのラップタイムで見れば、ヤルノは常に素晴らしいタイムを出すことができる。チームにとっては土曜日の段階でどの位置にいるのか、ある程度早い段階で知ることができるのは重要なことなんだ」
【トリビア】
2000年11月、F1シーズンが終了した2週間後にニューヨークマラソンに出場し、4時間2分21秒で完走した。
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2011年11月27日 レース前のトゥルーリ © Getty Images |
2011年11月27日 シーズン末のドライバー集合写真 © Getty Images |
2011年11月27日 シーズン末のドライバー集合写真 © Getty Images |
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