ラルフ・シューマッハ  ドイツ

driver portrait
F1キャリア / 戦績
Year Car Race Start Won Pod Class Best Pole Front Best Lap Hat Pts Pos
1997 Jordan 17 17 0 1 7 3 0 0 3 0 0 13 12
1998 Jordan 16 16 0 2 9 2 0 0 4 0 0 14 10
1999 Williams 16 16 0 3 12 2 0 0 4 1 0 35 6
2000 Williams 17 17 0 3 10 3 0 0 4 0 0 24 5
2001 Williams 17 17 3 5 10 1 1 7 1 5 0 49 4
2002 Williams 17 17 1 6 15 1 0 3 2 0 0 42 4
2003 Williams 16 15 2 3 13 1 3 6 1 1 0 58 5
2004 Williams 12 12 0 1 7 2 1 2 1 0 0 24 9
2005 Toyota 19 18 0 2 17 3 1 1 1 1 0 45 6
2006 Toyota 18 18 0 1 11 3 0 0 3 0 0 20 10
2007 Toyota 17 17 0 0 11 6 0 0 5 0 0 5 16
Total 182 180 6 27 122 1 6 19 1 8 0 329
グランプリ サーキット 開催日
デビュー戦 オーストラリアGP アルバート・パーク 1997年3月9日 レース結果
ラストレース ブラジルGP インテルラゴス 2007年10月21日 レース結果
プロフィール

兄ミハエルと同様にラルフは父が運営するカート場で育ち、17歳だった1992年にカートを卒業した。1994年にフォーミュラ・ジュニアからF3に進んでヨルグ・ミューラー、アレキサンダー・ブルツと並ぶランキング3位に入っている。1995年はノルベルト・フォンタナに次ぐ2位だった。この2人は翌年にフォーミュラ・ニッポンで再開を果たし、このときはクラッシュを喫しながらもラルフが最終戦でタイトルを獲得している。

1997年、ラルフはジョーダンからF1デビューを果たし、荒削りながらもそのスピードを発揮する。その一方、アルゼンチンGPでチームメイトのジャンカルロ・フィジケラと2番手を争った結果、フィジケラをリタイアに追いやり、チームの怒りを買ってしまうこともあった。1998年もジョーダンに残留したラルフのベストリザルトは、チームメイトであるデイモン・ヒルの後ろで2位フィニッシュを果たしたベルギーGP。1999年はウィリアムズに移籍し、新たに備えた成熟さをもってモンツァでの2位を最高とする16レース中入賞11回を達成した。

2000年にはさらに調子を上げてチャンピオンシップを5位で終える。ところが、チームメイトだったルーキーのジェンソン・バトンのペースがラルフの脅威となった。初勝利は2001年のイモラで、マクラーレン勢を抑えてトップフィニッシュする偉業を成し遂げている。その後、モントリオールにて今度は直線バトルで兄ミハエルを下して再び優勝トロフィーを手にした。3勝目は僚友のファン-パブロ・モントーヤがトラブルに見舞われたホッケンハイムだ。2002年は第2戦マレーシアGPで運を味方につけて勝利を飾り、好調なスタートを切る。しかしながら、一貫性に欠け、1勝を挙げたもののフェラーリ優勢の状況では厳しい戦いとなった。

優れた技量を武器に2003年に2連勝を記録したラルフだったが、タイトル争いに名乗りを上げるにはやはり好不調の波が大きすぎた。2004年はインディアナポリスのウオールに衝突してシーズンを棒に振る。トヨタに移籍した2005年は活躍を見せ、最終戦中国GPでこの年2回目の3位表彰台フィニッシュを決めた。2006年のオーストラリアGPでも3位に入ったものの、チームの勢いが弱まって結局は落胆のシーズンに。翌年も輝きを見せられないままラルフはF1を去っている。

『Carlton Books(カールトン・ブックス)』刊:
"The Ultimate Encyclopedia of Formula One(ザ・アルティメイト・エンサイクロペディア・オブ・フォーミュラ・ワン)"より

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