ヨス・フェルスタッペン  オランダ

driver portrait
F1キャリア / 戦績
Year Car Race Start Won Pod Class Best Pole Front Best Lap Hat Pts Pos
1994 Benetton 10 10 0 2 3 3 0 0 6 0 0 10 10
1995 Simtek 5 4 0 0 1 12 0 0 14 0 0 0 -
1996 Footwork 16 16 0 0 4 6 0 0 7 0 0 1 16
1997 Tyrrell 17 17 0 0 8 8 0 0 14 0 0 0 -
1998 Stewart 9 9 0 0 3 12 0 0 12 0 0 0 -
2000 Arrows 17 17 0 0 7 4 0 0 8 0 0 5 12
2001 Arrows 17 17 0 0 12 6 0 0 13 0 0 1 18
2003 Minardi 16 16 0 0 10 9 0 0 15 0 0 0 -
Total 107 106 0 2 48 3 0 0 6 0 0 17
グランプリ サーキット 開催日
デビュー戦 ブラジルGP インテルラゴス 1994年3月27日 レース結果
ラストレース 日本GP 鈴鹿 2003年10月12日 レース結果
プロフィール

ヨス・フェルスタッペンは1992年にGMヨーロッパシリーズで頭角を現し、1993年にはドイツF3のタイトルを勝ち取った。その結果としてベネトンが1994年に控えとしてヨスを獲得するも、シーズン開幕を控えたテストでレースドライバーのJ.J.レートが首を骨折したために、土壇場で代役としてレースに出場することになる。同年ドイツGPではピットでの火災を生き延び、ハンガリーGPで3位フィニッシュを果たしている。

1995年はシムテックでドライブ。アルゼンチン、イモラ、スペインでは予選でグリッド中盤につけるも、シムテックの資金が底をついたときにヨスの挑戦も終わった。1996年にアロウズ、1997年にティレルに移籍しながらも苦戦を喫し、1998年の中盤にスチュワートへ加入している。

だが、1999年にはその座を失う。一年の休止期間をおいて2000年には再びアロウズへ戻り、モンツァで4位に入った。2001年序盤に強さを見せたとはいえ、その理由はスタート時の車重の軽さにある。ヨスのアロウズは燃料をフルに積めなかったのだ。しかし、ヨスがポイントを獲得したのは6位に入ったA1リンクの一度のみで、2002年シーズンが始まる直前にシートを失っている。2003年にキャリアを再開したヨスはミナルディを駆り、最高位は9位を記録。2005年の終わりにはA1グランプリでキャリアと名声を再獲得するも、資金問題でその後の契約を逃した。

プライベートも波乱に富んでいる。2000年にはカート場で男性に頭蓋骨骨折を負わせたとして有罪を宣告された。また、2008年には別居中の妻に対する接近禁止命令を破ったとして執行猶予付きの実刑判決が下されている。

このページのトップへ上へ

最新ニュース

このページのトップへ上へ

最新画像

2014年8月21日

父ヨスと共にベルギーのパドックに訪れたマックス

2010年1月15日

フェルスタッペンのヘルメット

2003年4月5日

     

関連画像リスト

このページのトップへ上へ