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/ ハインツ-ハラルド・フレンツェン

ハインツ-ハラルド・フレンツェン  ドイツ

driver portrait
F1キャリア / 戦績
Year Car Race Start Won Pod Class Best Pole Front Best Lap Hat Pts Pos
1994 Sauber 16 15 0 0 7 4 0 0 3 0 0 7 13
1995 Sauber 17 17 0 1 12 3 0 0 5 0 0 15 9
1996 Sauber 16 16 0 0 7 4 0 0 7 0 0 7 12
1997 Williams 17 17 1 7 12 1 1 8 1 6 0 42 3
1998 Williams 16 16 0 1 12 3 0 0 3 0 0 17 7
1999 Jordan 16 16 2 6 13 1 1 3 1 0 0 54 3
2000 Jordan 17 17 0 2 8 3 0 1 2 0 0 11 9
2001 Jordan, Prost 16 15 0 0 9 4 0 0 4 0 0 6 13
2002 Arrows, Sauber 13 12 0 0 7 6 0 0 10 0 0 2 18
2003 Sauber 16 15 0 1 9 3 0 0 4 0 0 13 11
Total 160 156 3 18 96 1 2 12 1 6 0 174
グランプリ サーキット 開催日
デビュー戦 ブラジルGP インテルラゴス 1994年3月27日 レース結果
ラストレース 日本GP 鈴鹿 2003年10月12日 レース結果
プロフィール

ハインツ・ハラルド・フレンツェンはカートからフォーミュラ・フォードへと進んだ。1988年のGMユーロシリーズに参戦したフレンツェンは終盤の2ラウンドでミカ・ハッキネンを苦しめた。1989年のドイツF3ではカール・ヴェンドリンガーに敗れたものの、後に偉大なF1ドライバーへと成長するミハエル・シューマッハを後ろに抑えた2位に入っている。翌年はメルセデスのジュニアチームからスポーツカーの世界に進出すると同時に、F3000でもドライブ。その後F1への切符をつかむことができなかったフレンツェンは、同郷の先輩ドライバーであるフォルカー・ヴァイドラーの引き合わせもあり1992年から戦いの舞台を全日本F3000に移す。速さを示したフレンツェンは1994年にザウバーのドライバーとして起用された。1995年はマシン性能が上のライバルたちに対して何度か強いレースを見せ、モンツァで3位に入っている。

1997年はデイモン・ヒルの後任としてウィリアムズへ移籍し、イモラで優勝を飾った。しかし、その後は勝利が続かず、1999年はジョーダンへ。マニクールとモンツァのウイナーとなったフレンツェンは選手権3位でシーズンを終えた。調子が落ちた2001年は2度の3位を記録するも、シーズン途中の段階でジョーダンから解雇されてしまう。そのキャリアをプロストが救ったが、財政破綻に陥ったチームはシーズン末をもってグリッドから消滅したため、フレンツェンは2002年にアロウズへ加入した。しかしながら、アロウズも同年のシーズン中に撤退の運びとなり、古巣のザウバーへ活路を見いだす。前年にスポット参戦した上でフルタイムのザウバードライバーとなった2003年は雨のアメリカGPで3位という見事な成果を挙げるも、結局この年限りでシートを喪失した。これを機にF1を去ったフレンツェンは新天地を求めてドイツ・ツーリング・カー選手権にシフトしている。

『Carlton Books(カールトン・ブックス)』刊:
"The Ultimate Encyclopedia of Formula One(ザ・アルティメイト・エンサイクロペディア・オブ・フォーミュラ・ワン)"より

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2003年3月9日

ドライバー集合写真

1999年9月12日

1999年6月27日

フレンツェンとジョーダン

     

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