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/ エディ・アーバイン

エディ・アーバイン  イギリス

  • 氏名 エドムンド・アーバイン
  • 生年月日 1965年11月10日
  • 出身地 イギリス 北アイルランド・ニュートナーズ
  • 年齢 49歳262日
  • チーム Jordan, ジャガー, フェラーリ
driver portrait
F1キャリア / 戦績
Year Car Race Start Won Pod Class Best Pole Front Best Lap Hat Pts Pos
1993 Jordan 2 2 0 0 1 6 0 0 8 0 0 1 22
1994 Jordan 13 12 0 0 5 4 0 0 4 0 0 6 16
1995 Jordan 17 17 0 1 10 3 0 0 4 0 0 10 12
1996 Ferrari 16 16 0 1 6 3 0 0 3 0 0 11 10
1997 Ferrari 17 17 0 5 11 2 0 0 3 0 0 24 8
1998 Ferrari 16 16 0 8 13 2 0 1 2 0 0 47 4
1999 Ferrari 16 16 4 9 15 1 0 3 2 1 0 74 2
2000 Jaguar 17 16 0 0 12 4 0 0 6 0 0 4 13
2001 Jaguar 17 16 0 1 6 3 0 0 6 0 0 6 12
2002 Jaguar 17 17 0 1 7 3 0 0 5 0 0 8 9
Total 148 145 4 26 86 1 0 4 2 1 0 191
グランプリ サーキット 開催日
デビュー戦 日本GP 鈴鹿 1993年10月24日 レース結果
ラストレース 日本GP 鈴鹿 2002年10月13日 レース結果
プロフィール

北アイルランド出身のエディ・アーバインはデビュー戦1993年日本GPでアイルトン・セナから激しい抗議を受け、殴りかかられた。1周前のラップを走っているセナを大胆にも抜こうとしたのが原因だ。この一件でアーバインというドライバーの名は一気に広まった。

1987年イギリス・フォーミュラ・フォード選手権の王者であるアーバインは1988年にF3で活躍し、1989年はパシフィック・レーシングからF3000に参戦。エディ・ジョーダンのチームと契約した1990年はホッケンハイムで勝利してランキング3位につけている。翌年からは日本に渡り、スポーツカーやF3000でドライブ。1993年日本GPにジョーダンからスポット参戦し、6位入賞を果たしながらもセナの怒りを買った。1994年はジョーダンでルーベンス・バリチェロとコンビを組んだものの、開幕戦で大きなアクシデントを引き起こして1戦の出場停止処分を言い渡される。控訴での不遜な態度が災いして、結局は3レースにわたる出場停止処分を科された。

1995年までに"問題児"の評判を過去のものとしたアーバインだが、予選ではしばしば好結果を出しながらもメカニカルトラブルによって入賞は果たせずにいた。そんな中、カナダGPで3位フィニッシュを遂げる。1997年にフェラーリへ移籍してからは状況が好転し、アルゼンチンGPで2位に入った。ナンバー2ドライバーとしてチームに貢献した1998年を経て1999年には初勝利をマーク。同年にチームメイトのミハエル・シューマッハが足を骨折した際にはチームリーダーになるチャンスがめぐってきた。さらに3勝を重ねたアーバインは首位で最終戦に臨むも、タイトルはミカ・ハッキネンにさらわれている。

2000年はナンバー1の立場を占めるという期待を胸にF1初年度を迎えるジャガーへ移籍したが、チームの成績は振るわず、この年のベストリザルトはモナコGPの4位だった。翌年は同じくモナコGPで3位という驚きの結果を出すも、チームの歩みは遅すぎた。2002年にモンツァで3位表彰台に上ったのが死に瀕した白鳥が見せた最後の輝きであり、この年限りでアーバインはF1を引退している。

『Carlton Books(カールトン・ブックス)』刊:
"The Ultimate Encyclopedia of Formula One(ザ・アルティメイト・エンサイクロペディア・オブ・フォーミュラ・ワン)"より

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