ミカ・ハッキネン  フィンランド

  • 氏名 ミカ・パウリ・ハッキネン
  • 生年月日 1968年9月28日
  • 出身地 フィンランド・ヘルシンキ ヴァンター
  • 年齢 45歳300日
  • チーム マクラーレン, ロータス
driver portrait
F1キャリア / 戦績
Year Car Race Start Won Pod Class Best Pole Front Best Lap Hat Pts Pos
1991 Team Lotus 16 15 0 0 8 5 0 0 13 0 0 2 16
1992 Team Lotus 16 15 0 0 9 4 0 0 7 0 0 11 8
1993 McLaren 3 3 0 1 1 3 0 0 3 0 0 4 15
1994 McLaren 15 15 0 6 8 2 0 1 2 0 0 26 4
1995 McLaren 16 15 0 2 6 2 0 0 3 0 0 17 7
1996 McLaren 16 16 0 4 13 3 0 0 4 0 0 31 5
1997 McLaren 17 17 1 3 9 1 1 2 1 1 0 27 7
1998 McLaren 16 16 8 11 13 1 9 12 1 6 4 100 1
1999 McLaren 16 16 5 10 11 1 11 13 1 6 1 76 1
2000 McLaren 17 17 4 11 14 1 5 8 1 9 0 89 2
2001 McLaren 17 16 2 3 10 1 0 3 2 3 0 37 5
Total 165 161 20 51 102 1 26 39 1 25 5 420
グランプリ サーキット 開催日
デビュー戦 アメリカGP フェニックス 1991年3月10日 レース結果
ラストレース 日本GP 鈴鹿 2001年10月14日 レース結果
プロフィール

ミカ・ハッキネンは愛すべき人物だ。クールかつ穏やかなフィンランド出身のハッキネンは1990年代後半にミハエル・シューマッハや蘇ったフェラーリとバトルを繰り広げた。このダブルチャンピオンのキャリアはやや映画のストーリーめいていて、生命にかかわるケガを乗り越えてタイトルをつかんでいる。

ハッキネンは5歳でカートを始めてすぐ、まさに最初の1周でアクシデントにあった。しかし、それにもめげずにカートを続け、18歳までに5つのカート選手権をものにしている。その後はシングルシーターの世界を駆け上がり、1990年のイギリスF3チャンピオンになった。また、同じ年にはシューマッハと初めて本格的に対峙している。マカオGPでハッキネンはシューマッハの後方、2番手を走っており、総合優勝には十分なポジションだった。それにもかかわらずハッキネンはシューマッハにしかけ、2人は接触。これによってハッキネンはレースを完走できずに終えた。

だが、その落胆もハッキネンの行く手をさえぎることはなく、翌年にはF1デビューを果たす。ハッキネンとマクラーレンの名はほぼ同義語となっているが、F1キャリアをスタートさせたのはロータスでのことだった。1991年のフェニックスでは、エンジントラブルに見舞われるまで初戦にして力強いパフォーマンスを見せている。ポイント獲得を果たしたのは3レース目のことで、イモラで5位に入賞。しかし、メカニカルトラブルに悩まされたハッキネンにとって、これがこの年唯一の入賞でもあった。次のシーズンも同様で、ハッキネンはロータスで出場したレースの3分の1以上をリタイア。これが1993年のマクラーレン移籍へ繋がった。

テストドライバーからステップアップするチャンスを待たねばならなかったハッキネンだが、いざ実現すればデビュー戦のポルトガルで3度の王者であるチームメイト、アイルトン・セナを予選で上回っている。鈴鹿で表彰台を手にしたことによって翌年のシートを確保し、セナのウィリアムズ移籍によってリードドライバーとなった。さらに多くの表彰台を達成したものの、最初の1勝を挙げるのは難しく、1995年のアデレードでフリー走行中にクラッシュした際にはそのときが訪れることは永遠にないようにさえ見えた。コース上での緊急処置がハッキネンの命を救い、翌シーズンの開幕戦にはマシンに戻っている。その後2年は強さを示し、1997年のヘレスでは初の勝利を決めている。

この勝利がハッキネンの前で閉ざされていたゲートを押し開けた。1998年にはメルボルンで開催された開幕戦に勝利し、シーズン8勝を挙げて最終戦日本GPでシューマッハをおさえてチャンピオンに輝いている。翌年はシューマッハがシルバーストーンで骨折したためにタイトル争いから脱落し、エディー・アーバインが直近のライバルに。この年のマクラーレンはやや信頼性にかけており、タイトルへのプレッシャーと相まって、モンツァにてリードしていながらもスピンを喫してしまったハッキネンはコースサイドで涙を落とした。またしても最終戦での決戦となり、日本GPで優勝してシーズン5勝としたハッキネンが再びタイトルを手にする。しかしながら、2000年はシューマッハが選手権を勝ち取ってフェラーリの黄金期が始まり、ハッキネンは2勝にとどまった2001年をもってF1を去った。

【長所と短所】

際だってクールな外観がサーキットでも最も落ち着いたドライバーの一人としてハッキネンを印象づけた。しかし、その内部には感情的な面が隠されており、プレッシャーにさらされるとミスしがちでもあった。

【キャリア最高の瞬間】

1998年日本GP。シューマッハを下してシーズン最終戦で自身初のタイトルを勝ち取った。

【キャリア最低の瞬間】

1995年アデレードでフリー走行中にパンクチャーに見舞われ、激しいクラッシュを喫したこと。救急気管切開で命を取り留めている。

【注目のコメント】

「僕はF1のキャリアを通して、ものすごく多くのことを経験してきた。特に1995年はそうだったし、たくさんのことを達成したから、これ以上欲張ることに価値はないと思ったんだ」

「F1は心理戦だ。間違いなくね。耳から煙が出るほどよく考えなきゃ! 頭がついていかなければマシンに追い抜かれるだろう」

【トリビア】

ハッキネンは一輪車を操ることもできる。このスキルを使って1998年にミュンヘンのサーカスでパフォーマンスを披露し、飢餓に苦しむ子供たちのための募金を集めた。

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