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ドライバー

/ ジョニー・ハーバート

ジョニー・ハーバート  イギリス

driver portrait
F1キャリア / 戦績
Year Car Race Start Won Pod Class Best Pole Front Best Lap Hat Pts Pos
1989 Benetton, Tyrrell 8 6 0 0 5 4 0 0 10 0 0 5 14
1990 Team Lotus 2 2 0 0 0 - 0 0 14 0 0 0 -
1991 Team Lotus 8 7 0 0 5 7 0 0 20 0 0 0 -
1992 Team Lotus 16 16 0 0 5 6 0 0 6 0 0 2 15
1993 Team Lotus 16 16 0 0 8 4 0 0 7 0 0 11 9
1994 Team Lotus, Ligier, Benetton 16 16 0 0 9 7 0 0 4 0 0 0 -
1995 Benetton 17 17 2 4 13 1 0 0 4 0 0 45 4
1996 Sauber 16 15 0 1 8 3 0 0 8 0 0 4 14
1997 Sauber 17 17 0 1 11 3 0 0 7 0 0 15 11
1998 Sauber 16 16 0 0 8 6 0 0 5 0 0 1 15
1999 Stewart 16 15 1 1 9 1 0 0 5 0 0 15 8
2000 Jaguar 17 17 0 0 9 7 0 0 8 0 0 0 -
Total 165 160 3 7 90 1 0 0 4 0 0 98
グランプリ サーキット 開催日
デビュー戦 ブラジルGP ジャカレパグア 1989年3月26日 レース結果
ラストレース マレーシアGP セパン 2000年10月22日 レース結果
プロフィール

フォーミュラ・フォードに参戦していたジョニー・ハーバートは1987年にエディ・ジョーダンのF3チームと契約し、イギリスでタイトルを獲得した。1988年もF3000王座に向かって順調に進んでいたハーバートだが、ベネトンとF1契約を結んだその日にブランズハッチで足を複雑骨折してしまう。F3000の戴冠を逃しながらも翌年はF1に進み、デビュー戦ブラジルGPを4位でフィニッシュした。しかし、骨折の影響で足元の動きが制限され、タイトなサーキットでのブレーキングが困難だったため、チームから放出されている。

そのハーバートを救ったのがピーター・コリンズだ。1990年にロータスとの契約にサインしたハーバートは1994年の半ばまで同チームにとどまった。それに続くベネトン移籍でビッグチャンスをつかんだかに見えたものの、チームは相棒のミハエル・シューマッハに集中。それでも、ハーバートはライバルのクラッシュを含むチャンスを逃さず、シルバーストーンとモンツァで表彰台の頂点に立って同年のランキング4位につけた。

1996年はザウバーを駆り、僚友ハインツ・ハラルド・フレンツェンにプレッシャーを与えて1997年にはナンバー1ドライバーの座を手にした。テスト不足からチームがスローダウンするという逆境にもめげず、ハーバートはハンガリーGPで3位表彰台をもぎ取っている。1998年も優れたパフォーマンスを継続し、1999年にスチュワートに移籍してからは若手のルーベンス・バリチェロに押され気味の状況ながらも、ニュルブルクリンクでトップチェッカーを受けてファンを驚かせた。

2000年にF1を去ってからはスポーツカーの世界でレースを続け、アメリカン・ルマン・シリーズでアウディに乗る傍ら、2003年はベントレーから参戦したル・マン24時間で2位に入っている。2005年にはジョーダンのスポーティングリレーションズマネジャーとしてF1界に戻ってきた。

『Carlton Books(カールトン・ブックス)』刊:
"The Ultimate Encyclopedia of Formula One(ザ・アルティメイト・エンサイクロペディア・オブ・フォーミュラ・ワン)"より

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