リカルド・パトレーゼ  イタリア

driver portrait
F1キャリア / 戦績
Year Car Race Start Won Pod Class Best Pole Front Best Lap Hat Pts Pos
1977 Shadow 9 9 0 0 5 6 0 0 6 0 0 1 20
1978 Arrows 14 14 0 1 7 2 0 0 5 0 0 11 12
1979 Arrows 15 14 0 0 6 5 0 0 9 0 0 2 20
1980 Arrows 14 14 0 1 7 2 0 0 7 0 0 7 9
1981 Arrows 15 15 0 2 6 2 1 1 1 0 0 10 11
1982 Brabham 15 15 1 3 5 1 0 3 2 2 0 21 10
1983 Brabham 15 15 1 2 5 1 1 2 1 1 0 13 9
1984 Alfa Romeo 16 16 0 1 6 3 0 0 7 0 0 8 13
1985 Alfa Romeo 16 16 0 0 4 9 0 0 9 0 0 0 -
1986 Brabham 16 16 0 0 5 6 0 0 4 0 0 2 17
1987 Brabham, Williams 16 16 0 1 7 3 0 0 7 0 0 6 13
1988 Williams 16 16 0 0 8 4 0 0 5 0 0 8 11
1989 Williams 16 16 0 6 10 2 1 2 1 1 0 40 3
1990 Williams 16 16 1 1 12 1 0 2 2 4 0 23 7
1991 Williams 16 16 2 8 11 1 4 7 1 2 0 53 3
1992 Williams 16 16 1 9 11 1 1 11 1 3 0 56 2
1993 Benetton 16 16 0 2 10 2 0 0 4 0 0 20 5
Total 257 256 6 37 125 1 8 28 1 13 0 281
グランプリ サーキット 開催日
デビュー戦 モナコGP モナコ 1977年5月22日 レース結果
ラストレース オーストラリアGP アデレード 1993年11月7日 レース結果
プロフィール

キャリア終盤のリカルド・パトレーゼはF1で最も人気を博したキャラクターの一人だったが、若い頃にはグランプリレーシングの"やんちゃ坊主"として知られていた。ただ、その人格も10年のキャリアを経験するうちに変容し、パトレーゼは256戦の出走――後にルーベンス・バリチェロに抜かれるまでF1史上最多――記録を達成する。1978年南アフリカGPで新興チームだったアロウズの2戦目にあたるレースでラップリーダーとなる活躍を見せたパトレーゼだが、スピードがありながらも乱暴だった初期のパトレーゼが初優勝を記録したのはブラバムに加入した1982年のモナコGPまで待たねばならなかった。あまりにミスが多く、1983年サン-マリノGPではチャンスを棒に振ったが、同年の南アフリカGPでは完ぺきなパフォーマンスで勝利をつかみとっている。

1980年代中盤、アルファロメオからブラバムへと移ったパトレーゼのキャリアは負のスパイラルをたどる。巻き返しのチャンスをつかんだのは1988年にウィリアムズへ移籍してから。テクニカルディレクターのパトリック・ヘッドと素晴らしい仕事上の関係を築いたパトレーゼは表彰台の頂点に返り咲き、自身が愛するスポーツのトップチームに雇われるという幸運の中で平穏を見いだした。1991年にナイジェル・マンセルがウィリアムズに戻ってきた時にパトレーゼの復活劇はさらに際立ち、シーズン前半戦ではマンセルがリカルドの脇役を務めることを強いられた。

しかしながら、1992年にマンセルの影に追いやられるようになったリカルドは、ベネトンに所属先を変えて1シーズンを過ごす。そこではミハエル・シューマッハのペースに追いつくことができず、ついにF1界から置き去りに。1994年には復帰のオファーがあったものの、リカルドはツーリングカーシリーズに集中することを決め、1997年末にレースを引退している。

『Carlton Books(カールトン・ブックス)』刊:
"The Ultimate Encyclopedia of Formula One(ザ・アルティメイト・エンサイクロペディア・オブ・フォーミュラ・ワン)"より

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