もともと、ヨーロッパGPというのは名誉称号として使われていた名前だった。FIAの前身が名付けたもので、最初にその名を与えられたのはイタリアGPのホーム、モンツァで1923年のこと。最後に称号を授けられたのは1977年のシルバーストーンである。現在のような代替イベントとして名前が復活したのは1983年だった。この年、ニューヨークのフラッシング・メドウズでレースが予定されていたのだが、開催の3カ月前になって中止。急きょブランズハッチがレース主催に動き出したが、7月にシルバーストーンでイギリスGPがすでに開催されていたため、ヨーロッパGPの名前を使うことになったのだ。

これには多くのファンが詰めかけて大好評を博したものの、ブランズハッチは当時、シルバーストーンとイギリスGPを交互開催していたため、翌年のイベントを開催することができなかった。そのため、レースはドイツのニュルブルクリンクで実施された。1985年は再びブランズハッチが主催したが、その後はハンガリーGPに置き換えられている。

1992年には、1993年のメキシコGPの代わりに日本のオートポリスで新たなレースを開く計画が持ち上がったが、具体化できないまま話は消滅。そこでバーニー・エクレストンが介入し、ドニントンを追加した。彼らは1988年のイギリスGP開催に名乗りを上げ、落選したのだが、サーキットオーナーのトム・ウィートクロフトはドニントンへのF1招致に積極的だった。ウエットとドライが入り交じる不安定なコンディションでアイルトン・セナが優勝――彼がほとんどのドライバーを周回遅れにした伝説のレースである。

1994年にはヘレス、1995、1996年にはニュルブルクリンクに戻った。1997年、再びヘレスがポルトガルGPの代わりにヨーロッパGPを開催する。この年はシーズンの最終戦にあたり、ミハエル・シューマッハとジャック・ビルヌーブが接触し、シューマッハが選手権ランキングから記録を抹消されるという結末を迎えた。

1998年はカレンダーから姿を消したが、1999年はニュルブルクリンクを舞台に行われ、ウエットコンディションの中、ジョニー・ハーバートがスチュワート・グランプリに最初で最後となった勝利をもたらす。その後も2007年までニュルブルクリンクでの開催が続く。

2008年、レースはスペイン・バレンシアの新しい市街地コースに舞台を移し、2013年まで同地で開催された。