カナダGP

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  • カナダに伝説が生まれた日

特集:1978年カナダGP

Laurence Edmondson / Me 2011年9月8日
地元モントリオールの高い関心を集めたジル・ビルヌーブ © Sutton Images
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1978年、セント・ローレンス川の中州に作られた人工島イル・ノートルダムで初めてF1が開催される。一見すると特に興味深いレースではなかった。すでに2戦前にマリオ・アンドレッティがロータス78でタイトルを決定しており、伝統あるモスポートに代わって――理由は安全性のためというごく正当なものではあったが――出来上がったばかりのサーキットが舞台だ。その上気温は低く、天候は雨。

だがモントリオールは今日と同様にF1を歓迎し、すぐに気に入られた。とりわけジャッキー・スチュワートなどは"雄大なる川の中の小さなパラダイス"と評したほどだ。

新たな会場は200万ドルをかけて建設された。もともと1967年の万国博覧会のために開発された土地で、手入れされた湖や未来的な建物が残されていた。地元出身の若手ドライバー、ジル・ビルヌーブがフェラーリに乗っていたこともあり、ケベック州民はこぞってプラクティスセッションを観戦。彼はF1初のフルシーズンで評判を確立しており、ウエットコンディションのコースでコーナーからコーナーへと312 T3を振り回し、コースを覚えていくさまは期待を裏切らない。

1978年当時のサーキットは17のコーナーから成り立っていた。空は土曜日になってようやく明るくなり、ドライバーたちはドライでアタックする機会を得る。モンツァで亡くなったロニー・ピーターソンの後任としてロータスで2戦目を迎えていたジャン-ピエール・ジャリエが最速タイムを記録、2番手にジョディ・シェクター、3番手ビルヌーブと続いた。ポールから0.215秒差というビルヌーブのタイムに、その晩、地元ファンは大いに盛り上がる。カナダ資本のウルフに乗るシェクターも0.011秒差だ。

日曜日までにF1フィーバーは町中を席巻し、カナダGPの11年の歴史で初めて地元から優勝者が出るかもしれないとの期待から、決勝レースには7万2,632人のファンが集結。カナダのピエール・エリオット・トルドー首相も訪れており、グリッドで同胞に幸運を祈った。

グリーンライトが点灯し、ジャリエがうまく抜け出したが、ウルフのシェクターは過度のホイールスピンを起こしてなかなか前に進まず、ビルヌーブの進路を妨げた。そのすきにアラン・ジョーンズが2番手に。2戦前にロータスが早くもチャンピオンシップを決めた理由はすぐに明らかになった。後続が2番手争いを繰り広げるのを尻目に、ジャリエは1周ごとにリードを広げていく。18周目、シェクターがジョーンズを攻略し、すぐにビルヌーブも続いた。ビルヌーブはさらに25周目のヘアピンでウルフのマシンを抜き去る。

レースは折り返し地点に差しかかり、リーダーを追いかけていたフェラーリは徐々にロータスに接近。ビルヌーブはいつものようにマシンを滑らせながら懸命なプッシュを続ける。間もなくジャリエがトラブルを抱えていることが判明し、スローダウンし始めた。ブレーキの利きが急激に悪くなり、49周目にピットにイン。緊急調査の結果、ピットクルーは漏れたオイルがディスクにかかるという致命的なトラブルを発見した。ロータスがマシンを止めたことの重要性に気付いた群衆は大歓声を挙げた。ビルヌーブは安全なリードを築き、70周のレースの50周目に入った。だがこの時のビルヌーブの状態はというと、快適にはほど遠かった。

ポディウムでビールを振りまくビルヌーブ © Sutton Images
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「あの終盤のラップは拷問だったよ」と彼は自身の伝記の著者ジェラルド・ドナルドソンに語っている。

「クルマからさまざまなノイズが発生していた。いやな感じだったね。1万回転でシフトしなければいけなくて(フェラーリの水平対向12気筒エンジンは1万1,300rpmあたりが限界値だったとされる)、まるで老女のような運転を強いられていた。前半、ジャリエの後ろを走っていた時のように走り続けたかったよ。その時は彼にもっともっとプレッシャーをかけようとしていて、速くシフトしてハードにブレーキングするだけで良かった。コーナーはフルパワーさ。僕は攻めるのが大好きだし、お金を払って来てくれた人たちのためにいいショーを見せたいと思う」

ビルヌーブのDNAにスローなドライビングが組み込まれていなかったのは確かだ。彼はスノーモービルのレースで才能を磨いた男であり、F1に上がって来る前のジュニア時代にもほぼすべてのラップでプッシュしてきたといっていい。つまり、スピードを緩めるということに慣れていなかったのだ。だが彼は愚かではない。必要に迫られ、努めてイージーな走行を試みる。

「それは僕のリズムに影響した」と彼は認めた。「それまで50周近く、バンバンとシフトし、クラッチもバンバン踏んでいた。それなのに、すべてをスローモーションでやらなければいけなくなったんだ。ゆっくりクラッチを踏み、ギアを変えてクラッチをつなぐ」

ドライビングにキレはなくなったが、ファンはそんなことなど気にもかけず、彼らの夢が現実に近づくと熱狂した。一方のビルヌーブはブラックとオレンジのヘルメットの中で密かに自分に語りかけていたという。

「周りは見ていなかった。ただ自分自身に言い続けていた。"フェラーリはベストだ。壊れたりしない。絶対に壊れたりなんかしない!"と」

その信頼は報われ、1時間57分49.196秒後、彼はチェッカーを受けてF1初優勝を飾った。

「グランプリに勝つことは特別だよ。でも初めての勝利が母国だなんて、まったく想像もできないことさ」と後に彼はパドックで語った。「フェラーリ氏とチームに感謝しなければいけない。素晴らしい満足感だよ。僕の人生で最も幸せな1日だ」

熱狂の時が過ぎ、汗でびしょ濡れのレーシングスーツはビルヌーブの体温を奪い始めた。そのため彼は表彰台で借りもののブラウンのパーカーを着ている。カナダ独自の趣向として、ビルヌーブはセレモニーで伝統的なシャンパンの代わりにラバットビールの巨大ボトルを手渡された。その場にいた誰もが、28歳のこの若者にけた外れの才能が秘められていることを感じ取っていた。

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Laurence Edmondson is an assistant editor on ESPNF1

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Laurence Edmondson is deputy editor of ESPNF1 Laurence Edmondson grew up on a Sunday afternoon diet of Ayrton Senna and Nigel Mansell and first stepped in the paddock as a Bridgestone competition finalist in 2005. He worked for ITV-F1 after graduating from university and has been ESPNF1's deputy editor since 2010