カナダGPは非選手権のレースを6年間開催した後、1967年にF1カレンダーに加わった。モスポートパークで行われた初めてのF1レースではジャック・ブラバムが勝利している。カナダの英語圏とフランス語圏の対立から、レースはオンタリオのモスポートパークとケベックのモントランブランの持ち回りで行われた。

しかしながら、モントランブランで行われた1968年と1970年のレースでは40台中完走はわずか16台にとどまり、あまりにも危険過ぎるとの判断からカナダGPはモスポートパークのみで実施されることになる。これは1978年に新たな開催地、モントリオールが誕生するまで続いた。

1978年シーズン最終戦の舞台であるモントリオールは、1967年に世界博覧会の会場となったノートルダム島の公道を利用したサーキット。このレースでは地元出身のジル・ビルヌーブが自身初の勝利を飾った。1982年ベルギーGP予選で起こったアクシデントでビルヌーブが亡くなって以降、モントリオールのサーキットには母国のファンに愛されたこのドライバーの名がつけられている。その他に母国グランプリで勝利したカナダ人ドライバーはまだいない。

1982年、ビルヌーブの事故からわずか1カ月にして再び悲劇が起こる。イタリア出身のリカルド・パレッティがスタートラインでストールしたディディエ・ピローニのフェラーリマシンに追突し、命を失ったのだ。

1987年は地元のビール会社であるラバットとモルソンのスポンサー争いのためにレースは開催されず。翌年のカレンダーに戻ってきた際、スタートラインが現在の位置に移された。

近年では1994年から2004年の間に7度の王座に輝いたミハエル・シューマッハが強さを見せていた。2001年にはラルフとミハエルのシューマッハ兄弟がF1史上初の兄弟1-2フィニッシュを果たしている。

2005年のカナダGPは5,100万人が視聴し、スーパーボウルとUEFAチャンピオンシップリーグに次いで世界で3番目に多くの注目を集めたスポーツとなった。

モントリオールにはドライバーにとって独特の脅威がある。コースを横切るウッドチャックだ。2007年、初のポイント獲得が見えていたSUPER AGURIのアンソニー・デビッドソンのマシンにウッドチャックが激突し、デビッドソンはダメージを受けたフロントウイングの修理を強いられた。不運なデビッドソンが11位に終わる一方、この年のレースでルイス・ハミルトンが初めての優勝を決めている。

1988年以降は途切れることなく続いてきたカナダGPがカレンダー落ちとなったのは2009年のこと。同年はF1が50年を越える歴史で初めて北米でレースを開催しなかった年でもあった。しかし、オーガナイザーとバーニー・エクレストンの間で長期に渡る話し合いが続けられた結果、カナダは翌2010年のカレンダーで復帰を果たしている。