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元F1チーム代表のギ・リジェが死去

M.S.
2015年8月24日 « インディカーでウィルソンが意識不明の重体 | ルノーとの契約は大歓迎だとロータス »
ラフィットとリジェ © Sutton Images
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元レーシングドライバーにしてF1チームオーナーを務めたこともあるギ・リジェが85歳で亡くなった。

リジェは1966年から1967年に12戦を戦った短いレースキャリアを持つ人物だが、最もよく知られているのはその名を冠したF1チームのオーナーとしてだろう。リジェは1976年から1996年にかけてチームを運営しており、1970年代終盤から1980年代序盤にフロントランナー常連としてその最盛期を満喫している。

参戦期間を通じて9勝を上げたチームの最後の勝利は、オリビエ・パニスの有名な1996年モナコGP優勝だ。リジェがチームを売却してから4年後のことだった。リジェでトップチェッカーを受けたその他のドライバーとしては、フランス出身のジャック・ラフィット、パトリック・デパイユ、ディディエ・ピローニらがいる。

1930年、フランス・ヴィシーに生まれたリジェはラグビーの選手であり、ケガによってキャリアに早すぎる幕を引くまでにフランスBチームの代表にも選ばれている。大規模な建設会社を営み、フランスの自動車道路システムの発展に寄与した。1960年にモーターレースのキャリアを開始し、プライベート参戦のクーパー・マセラティやブラバム・レプコのマシンを駆った。

また、スポーツカーにも参戦し、1964年のル・マンでドライブした後にF1に転向。しかしながら、そのキャリアは短く、親しい友人だったジョー・シュレッサーが1968年フランスGPで命を落としたのを受けて引退を選ぶ。レースへの野心はマニュファクチャラーとして果たそうと決意した。

そのリジェが世に送り出したのが親友のイニシャルを取ったスポーツカー、リジェJS1だった。1974年のマトラ・スポーツ買収でF1に戻る準備を始めたリジェは、2年後に自身のチームでF1参戦を遂げる。2年目にラフィットがスウェーデンGPで優勝し、それ以降の数年間でチームにとって最も成功を収めた時期が続いた。

1979年に3位、1980年に2位でチャンピオンシップを終えたリジェ。1981年に旧友のフランソワ・ミッテランがフランス大統領に就任し、1983年にチームが財政難に陥った際には『Elf(エルフ)』や『Gitanes(ジタン)』、『Loto(ロト)』などの政府所有企業がリジェへのスポンサーシップ供給を命じられた。

コース上でのチームの勢いは衰え、リジェは1992年に同郷のシリル・ド・ルーブルへチームを売却する。4年後、このチームはアラン・プロストに売られてプロスト・グランプリとして生まれ変わり、2001年までF1で戦い続けた。

リジェは1992年のチーム売却による収入をフランスの天然肥料市場に投資し、新たに一財産をなしている。これを元にリジェ・マイクロカーというベンチャーを立ち上げた。

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