中東で初めてグランプリが開催されたのは2004年4月4日。バーレーン王国の小さな島がその舞台だった。マン島よりわずかに広いこの王国に存在するサーキットはただ1つ。このイベントのためにヘルマン・ティルケによって設計されたバーレーン・インターナショナル・サーキット(BIC)だ。

ティルケのトレードマークともいわれ、ロングストレートに続くタイトコーナーという特性――第1コーナーはその代表格といえる――は走りを楽しくするものの、コースを外れたドライバーに対する代償がなさ過ぎるとして、しばしば批判される。広大なランオフエリアを持つことから、世界で最も安全なサーキットの1つと言われるBICは、現役F1サーキットとして初めて、FIA認定センター・オブ・エクセレンス賞を受賞している。テクノロジー、安全性、マーシャリングと医療設備、すべてが最高水準であると評価された。

2004年のイベントに施設完成が間に合わないことを恐れた主催者はレースを中止しようとしたが、バーニー・エクレストンがこれを拒否。未完の個所を残し、初レースが強行された。コース周辺の砂が路面に吹き込み、走れなくなる心配があったため、主催者は砂が舞い散らないよう樹脂で固める処置を施した。その路面は今でも高い耐久性を保っている。

国家的なイベントとして開催されるレースは、島に多くの観光客を呼び寄せる。"Our Race(私たちのレース)"という標語が掲げられ、ポスターには国旗を手に声援を送る地元住民の姿が描かれている。観客動員数の少なさが批判されたこともあるが、ゼロからからファン層を築くのは簡単なことではないと主催者は反論。2006年には、近隣のバーレーン大学の学生が無料で招待された。

チームや観戦客にとってはいささか不便なロケーションのサーキットで、会場近くにホテルが不足しているため、多くのビジターは30kmほど離れた首都マナマに滞在することになる。2009年、BICはサーキットに隣接する土地を『@bahrain』と共同開発することを発表。計画にはホテルや娯楽施設、ビジネスや教育用のスペースも設けられるという。

バーレーンGP初代優勝者はフェラーリのミハエル・シューマッハで、翌年からはフェルナンド・アロンソが2連勝している。隣国サウジアラビアと違い、バーレーンではアルコールが禁止されているわけではないのだが、表彰台でドライバーに与えられるのはシャンパンではなく、代わりに、ローズウオーターを使った"Waard(ワード)"と呼ばれるノンアルコールのドリンクを振りまくことになっている。